「雑感」カテゴリーアーカイブ

岩稜歩行の講習

今日は、外出自粛解除、他県への移動も緩和されたので
奥多摩へ、岩稜歩行の講習を受けに出かけた。

やはり山の中を歩くのは気持ちが良い。
梅雨の晴れ間で、暑くもなく、天気も良く、見晴らしも良かった。

今日は、岩稜歩行ということで、いままでの30年近い山歴の中でも、経験したことのないほぼ垂直に近い、一番難しい岩場での講習であった。

ザイルが無ければ怖くて絶対に登らないようなところを、ザイルや鎖を一切頼りにせず、最初は、ザックは背負わず、少し慣れたら、ザックを背負っての登り降りを繰り返す。

しかし、何度か繰り返すうちに、恐怖は少なくなって行くのが分かる。
他のもっと傾斜が緩い岩場を見ると、簡単そうだなと思うようになるから不思議である。

やはり、何事も慣れはとても大事だなあと思う。

いままでに経験したことのないような厳しい岩場を、ザイルがあるという安心感を持って歩くのと、無しで歩くのでは精神的にまったく異なるが、慎重に行けば歩けるんだという自信も少しは生まれる。

これからもしばらくは、あちこちの山を歩くだろうが、通常の登山ルートにおいては、こんな難しい岩場は、ほぼ皆無だと思うので、より安心感を持って自信を持って歩けるだろう
という期待が生まれる。

今日は、私の今後の残り少ない山人生にとって、非常に為になる講習であった。

鈍感力

昨日は、久しぶりに、県内の丹沢を歩いて来た。
山中の駐車場は、車で溢れかえっていた。
でも、3蜜にはならずに、のんびり歩けた。

やはり、山はいい!!

このコースは、いくつもの橋を渡るのだが、
数か月前にも経験したが、昨日は最初から、怖さを感じることなく平気な気分でのんびり歩くことが出来た。
とても不思議である。

歳を取って来たので、鈍感力が高まったのかも知れない。
喜ばしいことなのか?

 

 

 

スティーブ・ジョブズのスピーチ

コロナウイルスによる外出自粛のため、
YouTubeで、英語の勉強のためと思い、スティーブ・ジョブズの
スピーチを聞いていたが、いくつか心に刺さる言葉があった。
その一部を書き取ったので、それを引用する。
(著作権云々の問題があろうが、構わない)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2005年6月12日に、
スタンフォード大学卒業式で、卒業生に送った
スティーブ・ジョブズのスピーチの一部である。

死にたいと思う人はいないのです。
たとえ天国へ行きたいと願う人ですら、
天国に辿り着くために死にたいとは思わないのです。
それでも、死とは私たちすべてが同じくする行先なのです。
誰一人として かつて死から逃れた人はいないのです。

そしてそれはそうあるべきことなのです。

なぜなら 死とは おそらくは生物の単一かつ最高の発明なのです。それは 生き物の変革の仲介をするものなのです。

死とは、古きを取り除き、新しきへ道を切り開くものなのです。
まさしく今、その新しきとは あなた方なのです。

しかし いまからさほど遠からぬうちに、あなた方も徐々に
古きとなり取り除かれていくことになるのです。

これがまったくの真実なのです。

あなた方の時間は限りがあります。
誰か他の人の人生を生きることで無駄にしないで下さい。
ドグマの罠に捕らわれないで下さい。
それは 他の人々の思考の産物と共に生きる事なのです。

他人の意見の雑音であなた自身の内なる声が
かき消される事のないようにして下さい。

そして 最も重要な事なのですが、
あなたの心と直感に従う勇気を持って下さい。
心や直感はあなたが本当になりたいと望んでいるものを
とにかくも既に知っているのです。

それ以外の総てのことは 二の次なのです。

最後に卒業生に送った言葉が、
ある人のある本の最終号に書かれた、以下の言葉であった。

Stay Hungry. Stay Foolish

「ハングリーであれ、愚か者であれ」

(以上、YouTubeから)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私も、古きものとして取り除かれる身になりつつあることやら、
自分の時間に限りがある、他の人の人生に生きることで無駄に
するな、自分の心と直感に従え、等々
色々考え込んでしまうスピーチであった。

Stay Hungry. Stay Foolishも良い言葉である。

皆さん、Stay Home!  ですね。

 

HDDからSSDへ

時間がたっぷりあるので、家人がほとんど使用していないノートPCのHDDをSSDに換装した。
とりあえず、HDDの中身はそのままにして、クローンを作った。
数年前にも、2,3台換装したが、いつも思うことだが、あれほど動きがもっさりとしていたパソコンが、まったく別物に変わってしまう。ついでに、古いデータ(記憶)も消してしまおうか。

1世代前のパソコンでも、まったくストレスのないパソコンに生まれ変わるから不思議である。

人間の頭も、換装可能だといいなあ~

「私たちには、できる」

時間がたっぷりあるので、パソコンでチェ・ゲバラの映画を観ていたら彼が、映画の中で、以下のようなことを述べていた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
もし、私たちが空想家だといわれるならば、
救いがたい理想主義者だと言われるならば、
できもしないことを考えていると言われるならば、
何千回でも答えよう。

私たちには、できる」と
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

チェ・ゲバラには、名言が多いが、
オバマ前大統領が演説で言った、Yes we can. は、
このチェ・ゲバラの言葉を引用したのか?

一度お会いした事があるプロスキーヤーの三浦雄一郎さんも、
エバレスト登頂成功直後の祝賀会での挨拶の席上で、
「夢は叶う」と何度も言われていた。

私は、この言葉が凄く好きであるし、私も強くそのように思っている。あれこれ理屈ばかりこねて、出来ないと言い、出来ることをしない人が多いが、
やれば、出来る!

やっと、ホームページをリニューアル!

こんな事態になるとは、だれが想像したであろうか。

コロナウイルスのために、緊急事態宣言が出て以来、山に行くことも憚られ、体重が増えないように気を付けながら、時々家の近くを散歩する程度で、家の中でほとんど過ごす毎日である。

とは言いながら、無為に過ごせない性分で、いろいろやっているが、時間がたっぷりあるので、WordPressのテーマを変更して、
ホームページをリニューアルしている。

昔のHTML版の日々の山行記録をすべて、WordPress版のホームページに移行するのは、膨大な時間がかかりそうなので、とりあえず目次レベルでページを、移し替えた。
少しずつ、いろいろ手直しをして行こう。

いつまでこの状況が続くのか?

あら、不思議!

今日は久しぶりに、丹沢へ
西丹沢ビジターセンターから、下棚本棚まで歩いた。
台風の爪痕が至るところにあった。
いつものコースが、ちょっと変わったりしている。

このコースは、丸太を組んだ橋を何ヶ所か渡るのだが、
私はいつも恐る恐る歩くのが常であった。
今日も最初の2、3ヶ所は、いつも通り歩いていたが、
そのうちいつの間にか平気で歩いている自分を発見し、驚いた。
意識して歩いてみたら、まったく怖さを感じておらず、ルンルン気分で歩けたことにびっくりした。

今まで長い間山を歩いてきてが、今頃になって、
やっと山に慣れて来たのか!

やはりもっともっと山を歩けと言うことか。

宮沢賢治記念館へ

20数年前にも行ったはずだが、すぐそばまで
来たので、宮沢賢治記念館を訪れた。
記憶に無いので、多分建物は新しくなっているのだろう。
展示方法も他には見られない、とても分かりやすい配置だと感じた。

この記念館を見ながら、これからの将来、数十年間このようなある特定の人物の記念館というものが建設される事があるのだろうか、とふと思った。

宮沢賢治のような、多分野に秀でて、今だに語り継がれるような人物は、残念ながら全く見当たらない。

不可思議な現象

スマホでなおかつスケジュールのアプリを使っている人は、
経験があると思うが、ホテルを予約するとその宿泊予定が、自動的にスケジュール帳に書き込まれる。

今回ある場所のホテルをスマホで予約したらスケジュール帳に、同じ系列のホテルではあるが、全く違う場所のホテルに宿泊と、自動的に書き込まれていた。

しかしながら、予約完了の返信メールは、私が予約したホテル名のものだけで、スマホに記載されたホテル名の返信メールは入っていなかった。

これは当然といえば当然。

しかし、気になったので、翌日違った場所のホテルに電話したら、危惧した通り、何と同じ日に2つのホテルが予約されていた。

そのホテルの人には、私のスマホでの現象を説明して間違っている方の予約をキャンセルしてもらった。
また、何らかのシステム上の不具合がある可能性がある事を、ホテル側に伝えた。

私がホテルに確認しなければ、余計な出費を強いられるところであった。

いろいろな出会い

ここ田野畑村では、いろいろな出会いがある。
今日はたまたま同宿という事で、日本画家の方と一緒に、私の車で何ヶ所か、スケッチ(撮影)ポイントを回った。
私と同じように、ここ北山崎のヤマセと絶景に魅せられたびたび訪れているとの事だった。
レベルはかなり違うだろうが、風景を見る目は似ているように思うし、話題もかなり共通しており良い時間を過ごさせて頂いた。

また、大震災前の前に、2年間ここに住んでいたというご夫婦にも会ったが、ここは観光地化されておらず絶景もありとても良いところだと、おっしゃっていた。
だからこそ、いまだにご夫婦でここを訪れているのだろう。

この村が好きで何度も訪れている人に会うと自分の感覚はおかしくないのだと、とても嬉しくなる。

死の町

東北からの帰途、帰還困難区域である、双葉町と大熊町を
車で通った。
二輪車や歩行者は、この区間は通行不可となっている。

この約十数kmの区間には、原発事故のその後の除染作業などの人たちのみが働いている。帰還困難区域であるにもかかわらず、特に防御服のようなものは身に着けていない。

道路沿いの建物は、大震災以降、まったく人は立ち入ることが
出来ず、建物は朽ち果てるままになっており、まさにゴーストタウンとなっている。
日本の中にこんな場所があるなんて信じられない。

一度でいいから、色々な人にこの場所を見て欲しい。
なぜこんなことになったのか、これからもこのような場所が作り出される心配はないのか?
その原因となった原発を止めて、クリーンなエネルギーに置き換えようという考えにならないのか?

喉元を過ぎて、また原発を稼働させようとする考え方がまったく理解できない。

 

復興

半年ぶりに東北を回っている。
海岸沿いの町では、半年前に比べてずいぶんと新しい建物が
増えてきたように思われる。防波堤もその建設が進んでいる。

以前から思っていたが、あれだけの大津波がまたやって来る可能性があるのに、なぜ大震災以前と同じ場所にまた建設するのかが、ちょっと理解できずにいた。

漁業の人たちは、海に近いほうが良いのは理解できるが、それ以外の人たちは、もっと海から離れたところに住むべきではないかと、ずっと思っていた。

しかしながら、何度か東北を訪れるうちに、何度津波が来ようと自分が生まれ育った場所に住み続けたい、津波に負けるものかという気持ちで住み続けているんだろうなあ、と今回ふっと思った。