「山・旅行」カテゴリーアーカイブ

撤退

丹沢のある場所への下見として、登山口がある道志まで行ったが、着いた時間が遅くなり、色々不安要素もあり、半ばほどまで行ったが途中で引き返した。

この日は、車で家を出て、30分ほど行った先の交差点で、白人が運転する乗用車とオートバイの衝突事故直後の現場に遭遇してしまった。私が交差点に差し掛かったときには、すでにヘルメットを被った男性?がまったく動かない状態で横たわっていた。私が狭い交差点をすり抜けようとしたときに、車の頭を大きな溝に突っ込んだ状態の車から、男性がよろよろとしながら出て来た。私と男性の目が合った。
助けを求めている顔つきであり、先日の八ヶ岳での事故を思い出し、救助作業をしなければと思ったが、その事故現場は狭い交差点で、しかもそのすぐ先にも交差点があり、車を寄せる場所は全くなく、後続の車もあったため、その場を走り去るしかなかった。
運転していても、しばらくその男性の顔が頭から離れなかった。途中昼食用にコンビニで買い物をするのも忘れた。山を歩き出してからも、最近はあまり怖くなくなった丸太橋を渡る時も、途中で怖くなり橋の真ん中でしばらく足が止まったり、普段ならなんということのないザレ場が怖くなり、体がふらついて落ちそうになったり、なんかいつも違うなぁという感じであった。
このまま進むと事故が起きそうだと思い、また時間的に遅くなっていたので、先に進むのを断念した。

下山中は、太ももが痛くゆっくりと歩くはめになり、判断は正しかったのかなと思っている。

 

山からエネルギー

ここ10日ほど、流行りの?咳や微熱などが続き、家でずっとぶらぶらしていた。だいぶ良くなって来たようだったので、3時間かけて久しぶりに富士山の麓まで出かけた。

紅葉は終わりに近づいていたが、紅葉した落ち葉を踏みしめながらのんびりいつもの散歩コースを歩いていたら、不思議な感覚に襲われた。
それまで、何となく体に違和感があったのが、一歩進むごとにそれが薄れていくのが、実感された。1時間位歩いていたら、もうすっかりいつも通りの体調に戻っていた。

私の山行記録のページの頭に、「山からエネルギーをもらっている」と書いているが、やはり本当だった!

バイク事故に遭遇

八ヶ岳のビーナスラインを走っていたら、バイク同士の事故直後に遭遇してしまった。
すでに何人かの人たちが、救助作業を行っていたが、私は、そこの道路が片側交互通行になるため、自分の車から三角表示板や発煙筒を出して、炎天下の中2時間交通整理をした。おじさんたちは、交通整理で、若い人6、7人は交代で心臓マッサージをしていたが、残念だが、多分ダメだろう。もう一方の相手方は、脊髄損傷と言っていた。

目を見開いたまま心臓マッサージを受けていた光景と暑さで、今夜はうなされそうである。

自然の中へ

自宅から歩いて、隣の市にある、自然豊かなエリアに足を踏み入れた。
とても都会と隣り合わせとは思えないほどの自然豊かな、心に安らぎを覚える空間である。天気も良かったので、のんびりと歩いた。

これからも多分何度も来そうである。

奇跡の遭遇

今回の旅は、1日目は馬籠宿へ向かう中山道を歩き、2日目は馬籠宿から妻籠宿まで歩き、妻籠からバス、電車を乗り継ぎ木曽福島駅まで、3日目は木曽福島駅から電車で奈良井宿までの旅であった。

1日目は、歩く人が少ないと思われる、木曽路の一里塚、「此れより北 木曽路」の碑があるところから歩き始めることにした。
ちょうど歩き始めようとした時に、そこで休んでいた大阪から東京まで歩いて行くと言うチェコから来た3名の若い男性としばらく言葉を交わした。
その後彼らは先を急いで歩いて行った。

2日目は、木曽福島のホテルにチェックインしてから、歴史資料館に見学に行った。 その後ホテルに戻ろうと歩いていたら、向こうから歩いて来る昨日会ったチェコの3人に、また出会った。 今日は、木曽福島の更に先まで行くとの事だった。
お互いにびっくりして、また笑顔で別れた。

3日目は、木曽福島駅から電車で奈良井駅まで行き、奈良井宿を見学した。
見学を終えて、塩尻に向かうため、駅の待合室で待っていたら、何とまたチェコの3人が塩尻方面に歩いていくところに出会った。

いくら日本が狭いと言っても、また同じコースを進んでいるとは言っても、こちらはバスや電車を使い、相手は歩きなのに、3日間連日遭遇するなんて、何と言う事だろう!
さすがにチェコの3人も驚いていた。

今回の旅行は、周りはほとんど外国人だけで、同じ人たちと3度も会うと言う、忘れえぬ思い出の旅となった。

国内旅行するなら英会話必須!?

馬籠から妻籠まで歩き通す事が出来た。
しかしながら、どこもかしこも、外国人ばかり。
ホテル、 木曽路、バス、電車では、日本人は私たち夫婦だけ。
ホテルの温泉で、温泉の入り方を教えたり、どこから来てどこに行くなど、この2日間ほとんど外国の方としか話をしなかった。
2日目のホテルのエントランスで、私たちが日本語で話をしていたら、隣にいた日本人の男性が、久しぶりに日本語を聞いたと言っていた。

これからは国内旅行でも英語力が必須の時代である。

順路?

先日、近くの里山のような古道をのんびり歩いた。
色々な道があるので、迷わないように地図を見ながら歩いたが、それでも何度か行きつ戻りつを繰り返した。

地元の管理センターなどが作成した観光用のパンフレットを2種類持っていたが、作成元が違うため、こっちに書いてあるのに、もう一方には書いていないとか、色々異なるためパンフレット頼りだと中々目的地に辿り着かない。
おまけに、自治体が作成設置している無駄な案内板や標識が、良い加減で、必要な個所には全く標識がない。
おまけに、標識には、具体的な場所の名前の他に、 「順路」と言う行き先が書いてある。
色々な行き先があるのに、順路って、一体どこだ! どこに連れて行くのか! 全く設置者の意図が分からない。

でも、都会のすぐそばに、タイムスリップしたような古道を歩けて楽しかった!

編笠山へ

行こうと思いながら、なかなか行けなかった編笠山にやっと来た。
10年ぶりか?
山頂からの眺望は絶景だった。(富士山も見えている)
以前に来た時の事はあまり覚えていない。その時は今日のように天気が良くなかったのだろうか?

絶景に出会ったせいか、途中休憩した山小屋の前のベンチで、ご夫婦の登山者と2時間ほども話し込んでしまい、下山した時は薄暗くなり始めていた。危なかった。

(写真のご夫婦?は、話し込んだ人とは別人物)