「雑感」カテゴリーアーカイブ

満員電車


今日は夕方になってから非常に激しい雷雨となり、電車が徐行運転をしているらしく、会社を出て駅に着いてみると沢山の人がホームで電車待ちをしていた。

この蒸し暑いのに、超満員の電車に詰め込まれる事を思うとうんざりした。 しかし、最初の電車が来てもすでにぎゅうぎゅう詰めになっており、ホームで待っている人の半分位しか乗ることが出来なかった。私も、乗れなかったが、風が冷たくなりうっすらとかいた汗を鎮めるのにちょうど良いと思い、本を読みながら次の電車を待った。しかし、結局次の電車も超満員で乗れなかった。仕事で疲れた体を、無理矢理電車に乗り込ませていった人たちを見ると、感心してしまう。

そこで、反対側の上りの電車に乗って、終点まで行き折り返してそのまま電車に乗って来ることにした。上りの電車はいつものことながら、夜はがら空きである。 上りの電車を利用する人と、下りの電車を利用する人は料金に差をつけるべきだといつも思うが、おかげでゆったりとシートに座りながら本を読むことが出来る。 終点まで行って更に折り返して来るので、ずっと座ったままで読書に集中でき、しかも人が少ないので、電車の中はひんやりとする位クーラーが効き、快適な読書の時間を持つことが出来た。

いつも利用する駅では、もうすでに乗り込んでくる乗客も少なくなっており、混雑はとっくに終わったようであったが、おかげで今日はずっとすいた電車に乗って帰宅することが出来た。たまには、こんな遠回りも良いと思う。

当然の事ながら、帰宅までの時間はいつもより余計にかかったが、おかげで今日は99冊目の吉村 昭の本を読み終えることが出来た。
記念すべき100冊目の本は、「魚影の群」になりそうである。

電子メール


今や電子メールは、仕事の上では無くてはならないものとなっている。 会社においては、ほとんどの連絡や指示、報告などが電子メールで行われる。

個人のメールも然りで、手紙よりもはるかに気楽にメールを出せるし、手紙のように2,3日も待つこともなく、ほとんどリアルタイムで相手に伝わる事が最大のメリットであろう。 仕事だけでなく、日常生活でも欠かせないものになって来ている。

もう5,6年以上も前になるが私も、掲示板で知った何人かの人としばらくメールでやりとりをしていた時期があった。 全く知らない相手ということもあって、本音ベースで自分の考えや感想をお互いに書き合うことが出来た。しばらくメールを交換していると、相手の性格もかなり分かって来て、そのような人同士が、実際に会ってみようと考えるのも不思議ではないと思う。
メル友に殺されるなどと言う物騒な世の中になってきているのは、非常に残念で迷惑な話ではあるが。

話は変わるが、昨日は北海道から東京に出てきた(熊が出てきたわけではないが)兄夫婦と1年半ぶりに都心で会った。一年半ぶりなのに、長く会っていないという感じが全くしなかった。なぜだろうと考えていたが、多分兄とはメールで一年くらい前から時々近況を伝え合っていたために、ブランクを感じなかったのだろうと思う。
これも電子メールだから頻繁に近況を伝えることができたのであり、電話ではこうは行かない。
女の姉妹ならいざ知らず、男の兄弟同士でいつも長距離電話をしあうなんて図は、サマにならない。 周囲に気持ち悪がられるだけであろう。

携帯電話


携帯電話の普及の速さには目を見張る物がある。日本全国で6千万人を超えていると言うから、年寄りや幼児を除いてほとんどが持っている計算になる。

これだけ普及していると、その使用時のマナーも気にかかる事が多くなってくる。

電車の中で電話がかかってくると、普通の神経の持ち主なら、周囲の人に済まなそうに小声で応答すると思うのだが、会社の事務所の中にでもいるかの如く、平然と大きな声で応答している人がいる。そばで本を読んでいるとびくっとしてしまう。ペースメーカを付けていなくても、心臓に良くない。

また、電車の中で、電車が何駅も通過しても、まだずっとしゃべり続けている若者がいると、電話代が嵩むのになんでこんなに長い時間携帯電話で喋る必要があるのかと腹立たしい思いさえしていた。聞こえてくる電話の内容は、私にはどうでもいい内容にしか聞こえないのだが。

しかし、最近はその見方も変わってきた。どんどん喋ってくださいと言う思いである。ただし小声でお願いしたいが。何故なら、彼ら若者がどんどん使って、携帯電話会社にお金を沢山払ってもらえると、電話会社は電話料金を安くしてくれて、結局私たちにメリットが出てくると気が付いたからである。

電車の中ではペースメーカに悪影響を与えるので、電車の中での携帯電話は勧められないが、電車の中以外ではどうぞ飽きるほど喋ってください。

きっかけ - 山


絵を始めたことはすでに書いたが、私は人物画などは自信もなくあまり興味を持たなかった。 描きたいのは自然や田園の風景であった。そのためには自然のあるところへ行かなければならない。

その頃は、一眼レフカメラもかじっていたので、欲張って水彩画と写真の両方の被写体があるところへ行きたいと考えていた。
しかし、病気のせいでずっとほとんど運動らしきことをしなかったために、体力もなくなっていた。 ずっとこのままで良いのだろうかと考えていた矢先でもあり、水彩画と写真の道具を持って近くの野山へ出かけてみようと思い立った。 森林浴は体にも良いだろうと、勝手な解釈をしていた。 医者には勿論内緒にしていた。

手始めに、近くにある標高の低い高尾山や城山などのあたりにハイキング気分で行ってみた。 半日くらい歩いたり、どこか気持ちの良い広々としたところでシートを広げ横になったり、スケッチをしたりして、夕方に家に帰って来たがほとんど疲れを感じず、爽快な気分だけが残っていた。
翌日になっても、疲れを感じることはなかった。まさに、森から精気をもらったという感じであった。それからたびたび出かけたが、いつも家に帰ってきても心地よい疲れだけが残った。あの、心地よい疲れというのは、何とも言えず気持ちがいい。そんなときにビールでも飲めばもっと気持ちよくなるのであろうが、残念ながら私はアルコールは全くダメである。
それからは、丹沢方面にも足を延ばすことになった。

しかし、丹沢の山の中でじっくりと腰を落ち着けてスケッチをしていると、明るいうちに下山が出来なくなることに気が付いた。 それで、初めのうちは大まかなスケッチだけをして、色付けは家でやろうと思ったが、いざ家で色を付けようとしても何色だったのかさっぱり思い出せない。 やはり色は山で付けなければダメだと思い、子供から父の日のプレゼントでもらった水彩色鉛筆を持って、山に向かった。
しかし、やはり絵を描いていると時間がかかるので、スケッチはそこそこにして家に帰る事が多くなった。

そうこうしているうちに、重たいカメラもリュックから出して、徐々に山を歩くことに重点が移っていった。相変わらず、山から帰ってきた後は、心地よく、翌日も体が非常に調子よく感じられた。 血液検査をしても、ひと頃に比べて薬を打たなければならないほど、具合が悪くなることは少なくなった。

これが私が、山に魅せられる事になったきっかけだった。でも、おかげで今は水彩画はそっちのけになっている。

ホームページ


先頃のゴールデンウィークの最中にやっと個人のホームページを立ち上げた。 とはいってもいまだ工事中だらけであるが。
内容はご覧のように丹沢山行のHPである。 これで私もホームレスではなくなった。

なぜ、丹沢のHPを作る事になったかというと、あまり深い理由はないが、敢えて挙げるとすれば、山の事以外にはHPの更新を続けられるようなコンテンツが見あたらないからと言うことと、市販の山のガイドブックには載っていないような情報をHPに載せて、丹沢を歩く人に道に迷わないようにして欲しいというのが理由である。

山を歩く人は、2度や3度は誰でもあるとは思うが、私も過去何度か丹沢で道を間違えて、思わぬ方向に登ってしまったという経験がある。 あとで2万5千の地図をよく見ると道がわかったり、逆に地図と実際が違っているために間違ったりなどと言うこともあった。
そこで、そのような間違えやすい場所の写真をHPに掲載し、これからそのルートを歩こうと思っている人に少しでも参考になるようなHPに出来たらと思っている。 まだ道は遠いが。

というのも、デジカメで写真を撮り始めたのが昨年の冬のボーナス以降なので、それ以前の写真は全くない。 今は一生懸命HPに載せるために写真を撮り貯めをしているという状況であるが、まだ撮っていないところがほとんどであり そのためには以前に歩いたコースをまた歩かなければならない。

丹沢山塊の全ての登山コースの写真全てがそろうには何年かかるか、楽しみのひとつでもある。

電車の席取り


今朝も電車の中で不愉快な思いをした。
私の右隣に座っていたおばさんが、電車がホームに着き、おばさんの右隣の席が空いたとたん、ぱっと空いた席の方に横にずれてしまった。そこはシートの一番端でパイプの手すりがあるところだった。
そのために、当然その空席に座れると期待していた前に立っていた男性は座れなくなり、唖然としていた。逆に、私の隣に空いた席には別の男性が、何らためらう風もなくさっと座ってしまった。
当のおばさんは、すでに何事もなかったかのように手すりに頭を付けて目をつぶっていた。
空いた席に優先的に座れる人は、まずはその席の前に立っていた人だと思う。 ところが、今朝の様な状態では、当然の権利が侵されてしまっている。 自分には直接関わりのないことかも知れないが、朝から不愉快にさせられた事に私は腹立たしさを覚え、そのおばさんの顔を睨んだが、目を閉じてまったく動かなくなってしまった。さきほどの機敏さはどこに行ってしまったのか。

もっと不愉快なのは、空いた席にあわてずゆっくりと腰を下ろそうとしている人を巧みにすり抜けて、脇の方から素晴らしく機敏な動きで、空席に座ってしまう輩である。 先に座ろうとしていた人が、ビックリして席の方を振り返ると、そこにはもうちゃんと先客が座っていて、先客の膝の上に座りそうになってしまう。 このような厚顔無恥なことをするのはおばさんだけでなく、おじさんにも沢山いる。

このような人々があまりに多く、日本人の謙虚さ、互譲の精神は一体どこに行ってしまったのだろうかと嘆かわしくなってくる。。そもそも互譲という言葉も知らない人も多いのかも知れない。

そのような光景を見ていると、いくら足腰が衰えてきたとしても、私はあそこまで見苦しいことをしてまで絶対に席には座らないぞと言う気持ちになる。

不当な、醜いやり方で席をもぎ取った人というのは、なぜか席に座ったとたんすぐに目を閉じてずっと寝ていたようなふりをする人と、周りを横柄に見回して何か文句があるかと言わんばかりの2通りの人種がいるようである。 やはりやましいと感じてはいるのだろうか。

きっかけ - 水彩画


病気のおかげ。
病気をしてからは、しばらく長い間にわたり肉体的に無理をしたり、精神的ストレスを与えないようにと医者から言われ続けていた。睡眠時間も7,8時間取るようにとも言われた。
今でもそれは基本的には変わってはいないのだが。 しかし7,8時間も寝るとなると、会社から帰宅してもほとんど何も出来ずに、すぐ寝る時間になってしまう。
また、そのような生活に体が慣れてしまうと、ちょっと無理をすると体がだるいと言う状態になり、悪循環となっていた。

そんな状態が10年以上も続いていると、好きなことも出来ずにこのままの人生で終わってしまっていいのだろうかと、考えてしまう。

そんな時に、たまたま画家の安野光雅先生の「風景画を描く」という番組がNHK教育テレビで放映されていた。 ヨーロッパの各地を旅して水彩画を描いている様子などが映し出されていた。 安野先生の絵は、ど素人の発言で誠に失礼だが、私にも描けそうだという気を起こさせる絵で、その番組で紹介されていた絵は私の好みにも合っていた。

絵を描くのなら、体力もあまり使わないし、金もあまりかからないので、やってみようと思い立ち、水彩画の画材を買い揃えた。 初めのうちは、安野先生の絵をまねたりして色々描いていた。
絵を始めてからしばらくして、新宿で安野光雅展が開かれていたので、早速見に行った。 本ではすでに安野先生の絵は色々と見ていたが、原画を初めて目の前にしたときは、非常に感激したことを今でもはっきりと覚えている。 背筋がぞくぞくするというが、まさにぞくぞくしたのである。おそらく絵を見てそのような感動を覚えたのは、その時が初めてだったと思う。

きっかけ - 本


病気のおかげ。
病気がきっかけで、変わったという人は世の中に沢山いると思う。私もその一人だろうと思う。十数年前に病気になり、数ヶ月入院をした。退院後もしばらく無理が出来ない状態が続いた。
しかし、病気のために失ったものも多かったのだろうが、病気のおかげで得たものも多かったと思う。

例えば、その一つは本である。もともと本は好きな方であったが、最初に入院したときに、会社の上司が見舞いに持ってきてくれた長編の本が私を更に本好きにし、興味の対象を大きく広げてくれた。
入院したときは、ただ横になって寝ているだけが治療法というような病気で、毎日ベッドの上で本を読んでいた。その時に頂いた本が、三国志(8巻)であった。その頃は、正直言ってあまり長編や時代物は好きではなかった。もっぱら推理小説ばかりだった。病院では、毎日一冊のペースで本が読め、そろそろ読む本の買い置きが無くなった頃であった。
しかたなく、三国志に手を伸ばした。そうしたら、全く新しい世界が開けた。大げさかも知れないが、いままでは食わず嫌いだったとすぐに気が付いた。こんなおもしろい本があるのかと思った。それと同時に中国の歴史のおもしろさも味わえた。

それからである、私の本の嗜好が一変したのは。長編や歴史物に興味を持ちだした。三国志の次に何を読もうかと考えたが、せっかくの入院生活だから、退院したら読むのが難しいと思われるものを読んでやろうと思い、徳川家康全26巻に挑戦することにした。最初はさすがにためらったが、これも読み出すと止められなくなった。読んでいる途中で、幸か不幸か退院となったが、通勤しだしてからもどんどん読み進むことが出来た。徳川家康のおかげで日本の歴史にも関心が強くなった。(今だから話せるが、高校時代は日本史は大学入試科目として選択しなかったので、一度赤点を取ったことがある。)

その後、新書太閤記(11巻)、水滸伝(4巻)、小説十八史略(6巻)などを読んだ。十八史略は、別の人がまとめたものも図書館から借り出して何種類か読んだ。 中国の3大古典は、三国志、水滸伝と紅楼夢だと、中国の人から聞いた。紅楼夢をいつかは読もうと思っているが、この本は図書館でしか見かけることが出来ない、難しそうな(内容は柔らかいのだが)本である。また、新平家物語などもいつか読みたいと思っている。

そのような経緯をたどって、現在は吉村 昭の本に熱中している。納得するまで事実を丹念に調査して書き上げられている、限りなく史実に忠実な本で、読んでいるとどんどん引き込まれてしまう。事実は小説より奇なりと言うが、史実を小説で読むのは更に興味深く、新たな発見がある。推理小説に戻ることは、多分ないだろうと思う。

その上司には、今でも感謝をしている。

鳥の声


 

今日、川のせせらぎの音を録音し自分のHPのBGMにしようと考えて、丹沢に向かった。 実際には川というよりも、わずかに水が流れる沢のような所の音が欲しかった。

ご存知の方も多いと思うが、川のせせらぎや鳥の音を聞いていると脳からα波を出すことが知られている。瞑想にふけっていたり、自分の好きなことに熱中している時に出てくる脳波である。速読の本などを読むと、α波を出させる訓練方法などが書いてある。ストレッチ体操などもその例である。

川のせせらぎの音を、モニターしながら録音をした。録音をし終わった後に、試しにもう一度じっくり聴いてみると、思ってもいなかった鳥の声がたくさん交じっているのに驚いた。
山の中にはこんなにも沢山の種類の鳥がいたのかと、初めて気がついた。 自然の豊かさを感じたと同時に、今まで何度も山を歩いていながら、こんなにたくさんの鳥が鳴いていた事に全く気が付かなかった自分が恥ずかしかった。

別の場所で、リュックを降ろしイヤホンでモニターしながら、またしばらく鳥の声を聴いていたが、いままでの山行にはなかった非常にゆったりとした心の安らぎを感じた。こんな豊かな気持ちにしてくれるひと時が、こんなところにあったのかという思いで、今日は私にとって心に残る山行となった。

ただ残念だったのは、沢山の鳥が鳴いていたにもかかわらず、私に判別がつくのはカラスとウグイスだけだった。