東北で元気をもらった

大船渡から気仙沼に向かう途中、広田半島という、私が知らない名前の半島があったので、寄ってみた。
そこでは、広田湾大漁祭りを開催しており、沢山の人が集まっていた。

そこで焼きホタテを売っていたので、並びながら、後ろについた高齢の姉妹に話しかけたら、お姉さんの方は、ここ広田で、津波で家が全て波に持っていかれ、今は妹さんのいる大船渡に住んでいるとの事だった。
大漁まつりに集まっていた広田に住んでいた知人達に懐かしそうに声をかけていた。

漁業関係の新しい施設は、岸壁に近いところに作られ祭りには、沢山の人が集まり、活気が溢れていた。
地元の若い人たちの元気な和太鼓の演技を見ていたら、やはり海の人たちは、海のそばでないとダメなのだろうなと思うと同時に、元気をもらったような気がする。
またちょっと涙が出てきた。

津波がまたいつ来るかも知れなくとも、やはり海のそばがいいのだろう。

焼きホタテは、1枚300円となっていたので、1個かと思ったら、2個で300円!!

新しい復興商店街

ここ大船渡にも新しい商店街が出来ていた。
名前は、おおふなと夢商店街。
昨年4月の落成とのこと。

ここは海に近いが、奥まった湾のようになっているせいなのか、盛り土は3mほどだと言う。
海のそばで育った人は、海のそばからは離れられないと田野畑村でも聞いた。

他の被災地同様、若い店主が多い感じであった。
やはりゼロからのスタートは、若いエネルギーが必要なのか?

せめて気持ちだけは、若い気持ちを持って新しいことに臨んで行きたいものである。

紅葉の岩手山

いつも遠くから気になっていた岩手山を歩いた。

歩行時間は、写真を撮りながらだったので、9時間かかった。
絶好の好天に恵まれ、途中の紅葉が日に照らされ葉がより紅く見え、何度も立ち止まった。
頂上付近は風が強く、冷たく、パーカーや手袋が必要だった。

岩手山は百名山の一つに数えられているが歩くコースは、かなり自然のままになっておりそれなりの覚悟がないと危ないかも知れない。

田野畑村から盛岡へ

白花シャクナゲ荘に3泊して、今盛岡へ向かっている。
今回も宿のご主人とは、一体何時間お話しただろうか。
奥様も含め、お互いのこと、家族のことなど随分と色々話した。

帰る際には、いつものように皆様で見送っていただいた。
次は、雪の多い時を狙って来ることを約束して宿を後にした。

お客さんの誘致に成功

今日は、田野畑村の鵜の巣断崖まで行ってきた。

この場所は、作家吉村昭のお気に入りの場所で、飽きずに何度も訪れていたと言われている。
太宰治賞を受賞した「星への旅」は、この場所からヒントを得て書き上げ、吉村昭が文壇にデビューした作品である。

何度見ても、息をのむような屹立した断崖である。

私はいつも、この場所にある案内図の前で、どこに行こうか
迷っている観光客に対して、北山崎にまだ行っていないのなら、
是非行くべき場所ですと、薦めている。

今日も、東京から来たという男性5人グループに、北山崎を薦め、さらに北山崎にある、白花しゃくなげ荘のコーヒーが美味しいので是非寄って下さいとお願いした。

この白花しゃくなげ荘は実は私の定宿であるが、夕方に戻ったら、宿のご主人から、この5人グループの人達が、来てくれたとの事だった。

少しでも復興支援に役立てたら嬉しい。

驚き

自宅から岩手の村まで1日で着くのは無理なので、昨日は奥州市のホテルに泊まった。

自分ではこの地には初めて来たつもりであったが、JRの水沢駅の名前を見た途端、30年位前にここに出張で来ていた記憶が突然蘇った。
そういえば、水沢市が合併などをして、奥州市という名前に変わっていたのであった。

出張先は、ここの水沢緯度観測所であった。
現在は水沢国立天文台という名前になっている。

予定にはなかったが、見学が可能だったので、2時間ほど色々と見て回った。
とても興味深く見学できた。
同じく見学に来ていた家族の大人の娘さんと一緒に、鉄のボールをぶつけ合う電子と陽電子の衝突の実験をした。
変なおじさんだと思っただろうな。

知っている人は知っているし、知らない人はまったく何のことか分からないと思うが、Z項というものを発見したのは、この観測所の明治時代の木村先生だったことを知った。

この先生の、「科学の心」という講演の時の肉声が聞けるようになっていて、ノーベル賞を受賞された本庶さんの言葉と相通じるものがあり、じっくり拝聴した。
(内容は、木村榮、Z項、で検索すると見つかります。)

大きなアンテナのそばで、メンテナンスをされている方がいたので、色々話をしていたら、、何とその方は私が勤めていた同じ会社の方であった。何という奇遇であろう。

いつもながら思うことだが、自分から動くと、期せずして新しい出会い、発見、感動、驚きなどが得られる。
これからも積極的に動きたい。

オートクルージング機能は不可欠

今日は、7時間の長時間ドライブであった。
しかしながら、オートクルージング機能のおかげで、疲れはほとんどない。

特に、アクセルとブレーキ操作が頻繁に必要な時に、オートクルージングにすると、気疲れが無くなり、安心して走れるのでとても助かる。

思えば、これも1年前の追突事故のおかげである。
追突されなければ、当分オートクルージング機能が付いた車を買うこともなく、また岩手まで頻繁に車で来ることも出来なかったと思う。

いま車は自動運転車の完成に向かってまっしぐらであるが、これが実用化されれば、寝て目が覚めたら目的地に着いているのでさらに年をとっても、いつでも好きなところに自由に行ける!

また東北へ

随分時間が空いてしまったが、日曜日からまた東北への旅に出る。

ちょうど紅葉が始まる頃らしいので、東北の村のまた別の顔が見られることを期待したい。

今回は、百名山の一つである、岩手山にも登る予定である。
頂上はかなり寒いと思われるが、前回盛岡市内から見た優美な岩手山の姿がずっと気になっていたので雪が降る前に登っておこうと思う。

筋トレ

先日ノーベル賞を受賞された本庶さんが、ゴルフのために今も毎日筋トレをされていると記者会見の席上で言われていた。

実は私も一か月ほど前から、山登りのために下半身の筋肉を重点に、筋トレを始めた。

きっかけは、8月に行った北アルプスでの敗退であった。
いつもならザックが重くても、2,3時間も歩けば、ザックの重さに体が慣れてくるはずが、丸一日たっても一向にその気配がなく、いつまでもザックの重さが体に重くのしかかっていた。

このような状態では縦走は難しいと思い、大きく予定を変更して、2日目には早々に下山してしまった。
そして、その下山の途中で、先についた右足の曲げた膝を元に戻そうとしても太腿にどうしても力が入らず、立ち上がれず、そのまま1,2mズルズルとお尻をついたまま滑り落ちてしまった。
膝が痛い訳でもなく、力が太腿からすっと抜けてしまう感覚であった。
筋肉疲労で、限界を超えていたのであろう。

普段のザックよりも重たかったというせいもあるだろうが、これまで20年間以上歩いているが、初めての経験であった。
あの時のショックは強烈であり、いまでも忘れられないし、これからも忘れることは無いだろう。それほどショックであった。

北アルプスへ向かう前日に、山のガイドさんから聞いた、「小さな危険に対し、その場でそれを認識し対応する小さな行動が必要」という言葉が途中で何度も脳裏を横切り、下山することを選択して正解だったと今も考えている。
(一昨日そのガイドさんにお会いする機会があったので、その時の事を話し、お礼を申し上げた。)

筋トレを始めて1か月ほど経ち、その間、富士山や高尾山を歩いたが、筋肉は嘘をつかないというのは、本当だと実感している。
筋肉は何歳になっても、鍛えればそれに応えてくれるという。

生涯山を歩くために、これからも筋トレは続けなければならないと考えている。

山行の様子を現地から携帯で投稿したり、日常の生活の中で撮った写真や、徒然なるままに思った事、雑感を投稿。