奇跡の1本松の近くにある、廃墟となってしまった
気仙中学校の校舎の壁には、
「ぼくらはいきる、このまちで」
というたれ幕が下がっていた。
テレビなどで見るのとは大違いで、現実に目の前に
たれ幕と廃墟となった校舎を見、その時
そこにいた子供達はどうなったのかと考えると
胸に込み上げるものがある。
みんな、ガンバレ!
奇跡の1本松の近くにある、廃墟となってしまった
気仙中学校の校舎の壁には、
「ぼくらはいきる、このまちで」
というたれ幕が下がっていた。
テレビなどで見るのとは大違いで、現実に目の前に
たれ幕と廃墟となった校舎を見、その時
そこにいた子供達はどうなったのかと考えると
胸に込み上げるものがある。
みんな、ガンバレ!
今日は、ここ田野畑村でUターンして、被災地を通りながら、南下します。
福島以来、ずっと太平洋沿岸を走っているが
例外なくどこも土木作業の真っ最中である。
土建業の方々は、多分震災以降休む暇もないほど
忙しい事と思う。
長靴業界は儲かっただろうと言う不謹慎な発言も有ったが、
土建業の会社にはどんどん儲かってもらいたいと思う。
それによって、色々な面で地元に還元出来、
色々な産業が活性化されると思う。
今は、運転に気をつける事もなく、
リアス線の電車の中でノンビリしている。
昨日の事を考えていたが、ガソリンスタンドの
スタッフ、浄土ヶ浜の交通整理の方と震災時の時の
ことを話していると、お二人とも目が潤んで来る
のが分かった。
私は、すぐにもらい泣きしそうになる。
今は皆さん明るく前向きに生きていらっしゃるので
もう過去の立ち入った話は聞かない方が良いのかも
しれない。
今まで、私が質問した方で、作家 吉村昭をご存知の方は、
ほとんどいなかった。
なぜ東日本大震災の話の最中に、吉村昭? と思われるかも
しれないが、この作家は、私も失念していたのだが、
明治29年および昭和8年の時に起きた三陸海岸の
大津波について、 「三陸海岸大津波」(旧題 海の壁)という本を
著していた。
その中で、津波による被害を克明に記述されており、
予想を超える場所までに津波が襲って来たことが書かれている。
奥様である津村節子さんは、生涯吉村昭がどうしても
取れなかった芥川賞を受賞されている作家である。
この奥様が、東日本大震災が起こった直後に、
主人が生きていたら、自分が書いた本の教訓を生かせなかった
と大いに悔やむだろうと仰っていた。
この本の中には、岩手県の田野畑村における被害の状況も
書かれており、過去に津波石と呼ばれる巨大な石が津波によって
想像出来ないほど内陸にまで押し上げられたとのことで、
明日、出来ればその石を見に行こうと思っている。
上の看板は、今回、奇跡の一本松のところで写したもので、
これにも記憶の風化が被害を大きくした要因とも言われている
と書かれている。
(私は、吉村昭の著書は、120冊以上読んでおり、もう新たに
読めるものがほとんど無いのが、残念である。)