浄土ヶ浜にて

海がとてもきれい!

今も仮設に住んでいるという
交通整理の年配の方に聞いたら、
震災後は酷かったが、やっときれいになった
と仰っていた。
震災後、一時江ノ島に住んだが、海が汚いので
こちらに戻って来た、やはり津波が来ると
分かっていても、ここが良いと。

震災後は、沢山のボランティアの方たちが
復興を手伝ってくれた、日本人は素晴らしい!
と何度も仰っていた。
やはりその時に少しでも復興に関わることが
出来ていたらと思う。

追記

前出の方が、
ここはリアス式海岸で、津波が来ると高い波になるけど
リアス式海岸だから、すぐ後ろが高台なので、すぐに逃げる
ことが出来るから、生まれ育ったここに住み続けたい
と仰っていたのが印象的だった。

誰にとっても生まれ故郷とは、心安らかな場所なのだと思う。

被災者の方々

道路工事をしている所ばかり走っていたので、車があまりにも汚かったので、宮古のガソリンスタンドで洗車した。

そこのスタッフの方に話を聞いたら、家が流されお母さんと姪っ子さんが無くなったと悲しそうな表情で話してくれた。
だんだん地元の人に話を聞くのが、辛くなって来た。

大槌の海岸で

宮古へ向う途中美しい海岸があったので、
車から降りて海岸を歩いていたら、
犬を連れて散歩している男性に会った。
ここの海岸には遠浅の綺麗な砂浜があったが
地震の影響でその砂浜が無くなったとの事。

この男性は釜石で家を流され仮設に住んでいたが、
イヤで4年前にこちらの大槌の高台に
引っ越してきたとの事だった。

こちらに来てから話しかける人は
ほとんど皆さん被害に遭われている。

あの地震はいかに大きなものだったかを
改めて認識させられた。

原発について その2

今回のこの旅行に際して、ある方から原発について
どう考えるかと言う、課題を頂いた。
旅行初日に原発のそばを通り、
その後、車を走らせながらずっと考えていた。

結論としては、そんな事はあり得ないが、
想定外の事故が起こっても絶対に安全でない限り、
どの様な理由付けがあろうとも原発を稼働すべき
ではないと思う。
小泉さんが言われる様に、「即原発ゼロ」にすべき。

なぜなら、他に選択肢があるにもかかわらず
自然豊かな広い地域に、子々孫々まで
踏み込むことを許さない様な選択を、現代の人が
勝手に選択する事は許されない事だと思うから。

今回の事故によって、今まで及び将来にわたって、
何十兆円もの金が浪費される事になると思うが、
それだけの金が有ったら、クリーンなエネルギーを
手に入れる事が出来るはず。
今現在、後ろ向きの除染作業などをしている
人達、また同じくこれから数十年にもわたって
後ろ向きの業務をしなければならない東電の社員が
いるのかと思うと、これまた大変な気の毒な事だと思う。

その場しのぎの金勘定で、目の前にある安易な、
経済的と誤解した選択がされてしまった結果だと思う。

現実に、震災後はしばらくの間、原発は全て
停止させても、日本の国民は生活が出来ていた。
これは原発が無くても生活が出来ると言うなによりの
絶対的な証明である。

新旧の建物

今日は、女川に来ました。

上の写真は、新しくなった女川駅です。

下は、たくさんの生徒が亡くなった、被災した時のままの
大川小学校です。
生徒の避難方法(方向)に問題があったと、訴訟問題になっている
ところですね。

どちらの光景を見ても、何と表現をしていいのか分かりません。
新しくなったからと言って、喜べないし。

でも女川駅前には、色々な店が集結し、未来に向かって
みなさん明るく元気に働いていました。

石巻駅前で


石巻には石ノ森萬画館があることを、初めて知った。
石巻市は、街中に石ノ森章太郎のアニメなど色々なものが
使われていて、石巻駅の建物にも震災前から使われていたとの事。
石ノ森萬画館も津波で大きな被害を受けたが、いまは石巻の
復興のシンボルとなっているそうだ。
いつもなら800円の入場料は敬遠するところだが、今回は躊躇なく
支払った。

駅前で、年配の男性に話しかけ、震災時の様子を色々教えて頂いた。
その方の奥様は早く山の方に逃げさせ、ご主人は息子さんが
戻るのを待って逃げたが、あと5分逃げるのが遅れたら家共々
流されたと言っていた。家族に亡くなった方がなかったのは
不幸中の幸いでした。
ご主人は自分でも自戒していたが、やはり甘く見ていたと
仰っていた。石巻ではほとんどの人がそう思っていたと
情報交流館の方がおっしゃっていた。

原発に想うこと

大震災が起こってから、直後のゴールデンウィークに
ボランティアで何かサポートしたいと思い、調べたら
人が沢山集まって来るので、時期を外してきて欲しいとのことだった。
そのために被災地を訪れる機会がなかなか無く、それ以来何も出来ずに
今日に至っており、私の気持ちの中でくすぶっていて、
ずっ〜と気になっていました。

今となっては、体力もないので、大したことは出来ないのですが
まとまった時間が取れるようになったので、またせめてわずかでも
お金を落とすことで、復興のためのささやかな支援になればと思い、
今回思い切って、やって来ました。

旅行初日に、原発の大熊町、浪江町に行きましたが、
自然豊かな一帯がほとんど帰還困難区域の指定になっていて
除染作業の人と車しか無く、まるで死の街になっています。
これが何十年も続くのかと思うと、暗澹たる気持ちになりました。

テレビなどの報道では感じることが難しいことを
肌で感じることが出来て、それが旅行初日で良かった。

今までは、原発は必要悪で使い続ける事は、仕方ないのかなと
漠然と考えていました。
しかしながら、今はドイツなどと同じように、原発ゼロを目指すべきだと
強く思いました。

石巻の状況

情報交流館館長のリチャードさんと対談した。
ご存知の方もいると思いますが、最近テレビで紹介されていたイギリス人のリチャードさんがNHKの取材を受けて、その際にリチャードさんと私が対談しているところも撮影された。
ニュースで報道されてしまうそうです。
でも仙台地方だけらしいので、ホッ!?

イギリス人でありながら地域の復興に尽くしている姿を見て、つい何度も有難うございますと言う言葉が出てきてしまった。

石巻は被害額において、東北で一番多かった自治体の様です。

山行の様子を現地から携帯で投稿したり、日常の生活の中で撮った写真や、徒然なるままに思った事、雑感を投稿。