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紅葉の岩手山

いつも遠くから気になっていた岩手山を歩いた。

歩行時間は、写真を撮りながらだったので、9時間かかった。
絶好の好天に恵まれ、途中の紅葉が日に照らされ葉がより紅く見え、何度も立ち止まった。
頂上付近は風が強く、冷たく、パーカーや手袋が必要だった。

岩手山は百名山の一つに数えられているが歩くコースは、かなり自然のままになっておりそれなりの覚悟がないと危ないかも知れない。

筋トレ

先日ノーベル賞を受賞された本庶さんが、ゴルフのために今も毎日筋トレをされていると記者会見の席上で言われていた。

実は私も一か月ほど前から、山登りのために下半身の筋肉を重点に、筋トレを始めた。

きっかけは、8月に行った北アルプスでの敗退であった。
いつもならザックが重くても、2,3時間も歩けば、ザックの重さに体が慣れてくるはずが、丸一日たっても一向にその気配がなく、いつまでもザックの重さが体に重くのしかかっていた。

このような状態では縦走は難しいと思い、大きく予定を変更して、2日目には早々に下山してしまった。
そして、その下山の途中で、先についた右足の曲げた膝を元に戻そうとしても太腿にどうしても力が入らず、立ち上がれず、そのまま1,2mズルズルとお尻をついたまま滑り落ちてしまった。
膝が痛い訳でもなく、力が太腿からすっと抜けてしまう感覚であった。
筋肉疲労で、限界を超えていたのであろう。

普段のザックよりも重たかったというせいもあるだろうが、これまで20年間以上歩いているが、初めての経験であった。
あの時のショックは強烈であり、いまでも忘れられないし、これからも忘れることは無いだろう。それほどショックであった。

北アルプスへ向かう前日に、山のガイドさんから聞いた、「小さな危険に対し、その場でそれを認識し対応する小さな行動が必要」という言葉が途中で何度も脳裏を横切り、下山することを選択して正解だったと今も考えている。
(一昨日そのガイドさんにお会いする機会があったので、その時の事を話し、お礼を申し上げた。)

筋トレを始めて1か月ほど経ち、その間、富士山や高尾山を歩いたが、筋肉は嘘をつかないというのは、本当だと実感している。
筋肉は何歳になっても、鍛えればそれに応えてくれるという。

生涯山を歩くために、これからも筋トレは続けなければならないと考えている。

槍ケ岳への道-4 (燕岳・槍ケ岳山行)


夜になっても、雨は時折激しく降っていた。顔なじみになった方々と明日の天候の話をするが、皆悲観的であった。せっかくここまで来ていながら、槍の穂先に登ることも見ることも出来ずに帰ることになるのだろうか。こんな悔しいことは無い。
とにかく明朝は4時起きで山頂へ向かう事にして、天候の回復を期待しながら早々と19時頃には眠りに就いた。

翌朝予定通りに4時に目を覚まし、気になる天候を確かめるために上着も着ずに外へ飛び出した。すると、何と昨夜までの雨が嘘の様に、地平線と接する空はほのかに白く明るさを取り戻し、槍の穂先の方のまだ深い群青色をした空には、大きな星が二つまたたいていた。 シルエットとなって浮かび上がっている槍の穂先では、ヘッドライトの光が星の輝きの様にまたたき、その光が連なって頂上に向かっているのが見える。

これほどの好天は予想もしていなかった。私の血が一瞬、騒ぐのを感じた。5年ほど前に山を始めて以来丹沢だけしか知らず、槍ケ岳なんて高嶺の花と思っていた私が、いよいよ槍に登るのだと思うと武者震いがした。

4時20分過ぎに槍の頂上を目指して、ヘッドライトで足下を照らしながら歩き始めた。急な岩場なので油断は禁物である。しかし、頂上までは意外とあっけなくたどり着いた。小学生くらいの子供達も登っていた。 頂上に近づく頃には、ヘッドライトの明かりも要らなくなった。

山頂には、御来光をここで迎えようと言う人たちですでに一杯だった。日ノ出の時間は5時5分だったので、30分位山頂にいた。日ノ出を待つ間、皆で写真を撮りあったり、目の前に見える穂高連峰や、眼下の槍岳山荘などを写真におさめた。

太陽が徐々に姿を現してきた。今日一日の好天を約束するような、見事な日ノ出だった。いつも思うことだが、太陽は毎日同じ太陽なのに、何故か山でみる御来光は気持ちをとても厳粛な気持ちにさせてくれる。新しい朝が来て、昨日までの色々な苦しい思いや、悲しい思いなど全てを清算してくれ、希望に満ちた新しい一日の出発という気持ちにさせてくれる。思わず手を合わせたくなる。

しばし日ノ出と山頂からの眺めに酔いしれてから、山頂を下り、朝食もそこそこに上高地に向けて出発した。下りながらも、何度も何度も槍ケ岳を振り返り、雄大な姿を写真におさめ、名残りを惜しみながら槍沢を後にした。

私の今年の夏は、終わってしまった。

槍ケ岳への道-1 (燕岳・槍ケ岳山行)


この夏、登山をするものなら誰でも一度は憧れる北アルプスのシンボル、槍ケ岳に登ってきた。

何度も書いたが、私は北アルプスそのものが初めてであった。ましてや、単独登山である。あまり山をやらない人は、皆一様に「えっ、一人で行くの!?」とびっくりしていた。

あまり、心配されるとこちらも心配になってくるが、ガイドブックを丹念に読むと特に危険なところは無さそうだし、表銀座といわれるほど人が多いコースらしい。ましてや、私の家内は15歳の高校1年生の時に山岳部で初めて連れて行かれたコースであると言っていた。
それなら、こちらはいくら中年になったとは言っても、丹沢をほとんど歩いた自分としては何とか歩き通せるだろうと、多少確信を持って出発することとした。

ただ、これも初めての3日間の縦走で体力が持つかどうか、また膝痛が出て来なければよいがと心配もあった。少しでも不安をなくすために、山行の2週間前から筋肉トレーニングや、ザックに水を沢山詰め込んで暑い丹沢を長時間歩いたりと、それなりの体力増強を図った。

ガイドブックのコース例では、2日目は燕山荘から槍ケ岳までとなっていたが、涼風に吹かれ展望を楽しみながらの稜線歩きなので何とか楽に行けるだろうと予想していた。しかし地図によると歩行時間は9時間前後であり、いつもの日帰り山行に比べて5,6Kg重い荷物でなおかつ写真を撮りながらでは、軽く10時間を超えることも十分予想される。

槍ケ岳への道-2 (燕岳・槍ケ岳山行)


一日目の中房温泉から燕山荘までは半日の行程で、ちょうどお昼に着いてしまい時間がかなり余ってしまった。途中道すがら一緒になった4人グループや女性の単独行の方々は明日の歩行時間の短縮を考えて、その日のうちに大天井まで行かれた。私もその気持ちもあったが、計画を立ててしまっていたので予定通り燕山荘に泊まる事とした。その代わり明日は4時出発と決めた。

しかしながら、夕方からの濃い霧が夜には雨に変わり、翌朝は厚い雲が空を覆い、いつまでたっても明るくならず道も全く見えない状態であった。結局、山荘を出発できたのは予定より1時間遅れの5時過ぎであった。出発の時には上がっていた雨も、歩き出して直ぐにまた降り出した。汗を人一倍かく私としては雨具を着用したくはなかったが、標高3千mでの雨は冷たく、丹沢の登山のように雨に濡れて気持ちがよいと言う訳にはいかなかった。

その後もほとんど雨は降り続け、写真も雨の合間にわずかしか撮ることが出来なかった。大天井まで行く間に見かけた、コマクサの間を歩き回ったりあるいはまるで道案内をしてくれるように私の先を歩いていく雷鳥を写真に収めることが出来なかったことは、大変くやしかった。喜作新道の稜線も晴れていれば、素晴らしい眺めだろうと思われた。

雨の中の大天井までの道のりは非常に長く感じられた。途中、雨具を脱いだり着たりを繰り返していたせいもあるが、3時間近くかかっていた。雨脚も時には強くなったりで、なかなか天候の回復のきざしが見えない。こんな調子で、今日は槍ケ岳まで行けるのかなと不安がよぎった。

槍ケ岳への道-3 (燕岳・槍ケ岳山行)


とにかく歩き続けるしかなかった。

私の前後には今朝同じ燕山荘を出発した人が4、5人いたが、濃い霧のためほとんどその姿が見えない。途中で休んでいると、後から来た人が追いついて来たがまた直ぐに間隔が広がる。雨は相変わらず降ったり止んだりを繰り返し、空はいつまでたっても晴れる様子を見せない。ヒュッテ西岳やヒュッテ大槍で休憩しているときにはまた雨脚が強くなってきていて、今日はもうここに泊まってしまおうかと言う気持ちが胸をよぎった。

しかし、今日中に槍ケ岳まで行っておかなければ、明日の上高地への行程がまたきつくなる。何とか気持ちを奮い立たせ、雨と疲れで重くなってきた足を一歩一歩前へ踏み出し歩き始めた。
こんな時は、遙か遠くに目的地が見えない方がいいのかも知れない。あまりにも目標が遠いと、気持ちが萎えてしまいそうになる。東鎌尾根の雨に濡れた岩場を、滑らないように慎重に歩く。疲れたときに事故を起こしやすいので気を引き締め、槍ケ岳を目指した。

槍ケ岳まであと800mと岩にペンキで書かれた表示を見たときは、やっと着いたという気持ちだった。ところが、いくら歩いても槍ケ岳は見えて来ないし、次の何mと言う表示も現れない。2,300m以上は歩いたと思われる頃にやっと700mという表示が見えた。

丹沢を歩いていて分かったことだが、ある目的地まで何mという表示は必ずしも道のりを表していない。地図上の直線距離を表しているところもある。ほとんどの場合、実感としては表示の距離よりも、長く歩いていると感じていると思う。疲れによって長く感じる所もあるのかも知れないが、このような表示は必ず道のりを表示して欲しいものだ。

槍岳山荘への最後の200mは本当に長かった。400m以上は歩いたのではないだろうか。途中2,3度休んだほどである。それでも、やっと槍の肩に着いた!!
結局、燕山荘から槍の肩(槍岳山荘)まで10時間半を要した。

しかし濃い霧で槍ケ岳はおろか山荘の周囲さえもほとんど何も見えない。雨もまだ降っていた。こんな天候で、槍ケ岳の山頂に登れるのだろうか。明日もこんな天候が続くのだろうか。槍ケ岳のふもとまで来ておきながら、全く何も見ることが出来ずに上高地へ下りることになってしまうのだろうかと、着いたばかりの山荘の前でしばらく佇んでいた。

デジカメ(燕岳・槍ケ岳山行)


今回の山行では、家を出てから帰宅するまでの間に、何と660枚もの写真を撮っていた。予想していたことではあったが、我ながらよくもこんなにたくさん撮ったなあと思う。
途中丸一日雨の日がありほとんど写真を撮れなかったが、それでもこの枚数である。もし晴れていれば軽く800枚は越えたであろう。
従来の銀塩カメラでは、フィルム代やら現像代を考えたらとてもこんな枚数は撮れない。デジカメだからこそである。

デジカメには色々なメリットがあるが、私の写真は構え方が悪いせいでブレてしまうことが多く、ブレたのではないかと思った時には、その場でもう一度シャッターを押し直す。一枚のメモリーカードでも、画質を低めに抑えておけばほとんど枚数を気にしないで写せる事が大きなメリットだ。

撮った写真をインターネットのホームページに使う場合は、大きなデータサイズのものは避けなければならないので、敢えて高画質にしてデータサイズを上げる必要は無く、ほどほどの画質で構わない。
高画質で撮りたい場合というのは、例えば大きなサイズでカラー印刷をする時だと思うが、今まではほとんどその様な必要はなかった。

私のデジカメの用途は、ほとんどが山行記録用である。いろいろなポイントの道標や目印になるようなものまで、何でも撮ってしまう。後で、スライドショーの機能を使って撮った写真を流してみると、自分の行動を明確に思い出すことが出来る。バスの時刻表なども撮っておけば、次回に利用する時の情報として役に立つ。だから、私のホームページに載らなかった写真の何倍もの枚数の写真がパソコンの中に入っている。
しかし、これだけたくさん撮ってもホームページで使えそうなものはほんのわずかしか無いのは、やはり腕のせいでこればかりはどうしようもない。それだからこそ、出来るだけたくさん写して、まぐれの出来ばえの写真を選ぶしかなさそうである。逆にいうと、それだからこそデジカメのメリットを発揮できるのだと思う。

山行中にも、いろいろな方からデジカメを羨ましがられたが、最近は価格も下がってきており小さく軽いので、新たにカメラを買うのなら是非デジカメを買いなさいとその方々に薦めた。槍ヶ岳のあの狭い山頂でも、女子高生らしきグループにデジカメを羨ましがられて薦めてしまった。

各駅停車の旅 (燕岳・槍ケ岳山行)


今回の山行は、特急が何本も出ているにも関わらず、敢えて各駅停車の電車で八王子から松本まで行くことにした。

特急だと2時間ちょっとで着いてしまうので、電車に乗り込んでものんびりとしていられない。その点,各駅停車の電車は4時間以上かかるので、のんびりと車窓の風景を眺め、本を読み、駅弁を食べ、そしてまどろむ事が出来る。以前からやってみたかった事だった。
その昔、私が札幌の実家に帰省するときも、特急でなく急行に乗って帰ったことも何度かあった。各停の電車の旅は、特急では味わえない郷愁を誘うものがある。

左右に見えて来る山並みをのんびりと眺めながらの電車の旅ほど贅沢はないと思う。各停の電車だけあっていつもがらがらの状態で、靴を脱いで前のシートに足を乗せボックスを独り占めも出来る。安い料金でこんな至福の時を与えてくれるなんて、何と素晴らしいことかと思う。

帰りも電車の振動に揺られ、山行の余韻を楽しみながら山行記録を書き、また山を歩き通したという満足感に浸りながら、時間も気にせず各停の電車で帰ってきた。これが、特急で有れば慌ただしく乗り込み、慌ただしく降りる支度をしたりで、山行の余韻などあったものではない。山梨の近くでは、右手に南アルプスの山並みが見え隠れし、いつかはここも歩いてみたいなあと痛い足の裏をかばいながら、もう考えている私であった。

岩(燕岳・槍ケ岳山行)


今回の山行では、高山だけあって岩場のルートが多かったが、歩きながら思ったことは、全く同じ形をした岩はひとつも無いという事である。それでいて、形の異なった岩と岩ががっちりと組み合わさって山を形作ったり、私たちの体重を支えながら、歩く道を作ってくれている。

これは、まさに人間社会と同じである。社会は、色々な性格や能力を持った人間で構成されていて、これらの人々が、岩がうまく組み合わさって堅固な石垣を作るように、健全な社会を形成し色々な機能を果たしている。この岩のひとつでも欠けると石垣は崩れてしまう。
しかし、たまに社会に適合できない性格異常者が出てくると、石垣の岩がはずれるように、重大事件を引き起こし社会の機能をマヒさせてしまう。最近頻発している通り魔的殺人などが、その良い例であろう。

登山中も、このような岩が時々潜んでいて、思わぬところで顔を出し、たまたまその岩に不用意に足を乗せた時に、バランスを失って転倒したり、転落事故などを発生させる。
大きな岩でも必ずしも安定していないので、常に注意を払いながら歩く必要がある。 その様な時の山行は非常に神経が疲れるものであるが。

サウナ(燕岳・槍ケ岳山行)


夜行列車で登山口まで来て、そのまま寝不足の状態で山に登るという話を良く聞くが、今回の山行ではそれを避けようと思い、松本市の駅前にあるサウナで夜を明かすことを思いついた。

駅前から歩いて2,3分のところなので、翌早朝の電車の時間の心配も要らない。店の人も登山客の受け入れは心得ており、ザックの置く場所も決まっているようである。店の中には、4,50人は優に入れる休憩室や、やはり同じ広さの仮眠室があり、横になって体を休めることが出来る。軽食も摂ることは出来るが、外で自分の好きな物を食べてから、サウナに向かえばよい。ただ、残念ながら、この店は男性客のみであり、女性は入れない。

おかげで、登山初日は眠たくなることも無く、快調に予定の山小屋まで向かうことが出来た。中には、眠たいと言いながら歩いている人たちも何人かいた。危険なコースが無いから良いようなもの、特に中高年はその様な強行軍は控えたいものである。

山を下りて来て、時間的には自宅に帰ることも可能であったが、汗を流したいのと足の裏が痛くてこれ以上歩くのが苦痛だったため、またサウナを利用した。
山を始めてから今まで足の裏にマメが出来た事はなかったが、靴下が今まで履いたことの無いものだったせいだろうか、両足に合計8つほど出来ていた。
槍沢から上高地までの林道歩きは苦痛以外のなにものでもなかった。ただでさえ、林道歩きは嫌われるのに、足が痛い状態で歩くのであるからなお更である。

サウナでは、汗を流してからマメをつぶしにかかった。あいにく針が無かったので、サウナの店員さんにお願いして貸して頂いた。その他にも針の先を焼く火はあるかとか、ティッシュはとか、塗り薬はと色々親切に気を使っていただき感謝している。
おかげで、だいぶん歩行が楽になり、何とか家までたどり着いた。

松本市(燕岳・槍ケ岳山行)

 

今回の山行で、初めて松本市を訪れた。最近人口を20万人を超えたとのことだった。

ある店で聞いたところ、市内の観光名所は松本城と旧開智小学校の2カ所くらいで、やはり松本市は、登山の街であると言っていた。街並みもどことなくほかの街とは違って、駅前には観光客、登山者を迎える入れるような雰囲気を漂わせている。軽井沢などの保養地と似た趣である。

駅前には大きなザックを入れるコインロッカーも整備されている。また街の中を大きなザックを背負って歩いていても、街を行く人はジロジロと見ることも無く、見慣れた光景のようであった。食事の為に通路に置いたザックが、通行の邪魔になっていても、特に不快そうな顔も見せない。登山者に対して非常に寛容な街であると感じられた。

駅前のコーヒーショップでコーヒーを飲みながら窓の外を眺めていると、大きなザックを背負った若者が何人も行き交い、大げさかもしれないが、まるで登山の前進基地に来たという感じで、「いよいよ明日初めての北アルプスに登るんだ」という高揚した気持ちを抑えることが出来なかった。
夜になるといつの間にか、駅前には寝袋を並べて体を横たえている登山客のグループが集まって来ていて、いやが上にも気持ちをその気にさせてくれた。

是非、また来たいと思った街であった。

 

出会いと初体験(燕岳・槍ケ岳山行)


 

今回の燕岳・槍ケ岳山行では、日帰り山行では経験できないようなさまざまな事に出会った。

私にとって初めての北アルプス山行であり、槍ケ岳はもちろんのこと、テレビや本でしか見たことの無かったコマクサの群生などの高山植物、雷鳥、ブロッケン現象、槍ケ岳山頂での御来光、槍の頭の雲海への影など、どれもこれも初めて見るものであり、興奮の連続であった。
また、途中燕岳から槍ケ岳へ向かう一日はほとんど雨で、長時間の雨の中の歩行も初めてであったが、ゴアの雨具を着用していれば、思ったよりは快適であることも発見した。それでも、雨が上がれば直ぐに脱いだり、また降り出すとまた着込んだりで、山荘までかなり時間を食ってしまった。

一期一会というのは、人との出会いを言うのだろうと思うが、今回のようなさまざまな体験を貴重なものとして、大事に私の思い出として留めておくと共に、私の感動を少しでも誰かに分けてあげたくて、ホームページに山行記録として載せた。

登山を始めなければ、経験できなかったことであり、私はそのきっかけに感謝すると共に、今後も登山だけでなく色々な事に取り組み、色々な事に出会いたい。行動すれば、何かが得られると思うから。