大震災が起こってから、直後のゴールデンウィークに
ボランティアで何かサポートしたいと思い、調べたら
人が沢山集まって来るので、時期を外してきて欲しいとのことだった。
そのために被災地を訪れる機会がなかなか無く、それ以来何も出来ずに
今日に至っており、私の気持ちの中でくすぶっていて、
ずっ〜と気になっていました。
今となっては、体力もないので、大したことは出来ないのですが
まとまった時間が取れるようになったので、またせめてわずかでも
お金を落とすことで、復興のためのささやかな支援になればと思い、
今回思い切って、やって来ました。
旅行初日に、原発の大熊町、浪江町に行きましたが、
自然豊かな一帯がほとんど帰還困難区域の指定になっていて
除染作業の人と車しか無く、まるで死の街になっています。
これが何十年も続くのかと思うと、暗澹たる気持ちになりました。
テレビなどの報道では感じることが難しいことを
肌で感じることが出来て、それが旅行初日で良かった。
今までは、原発は必要悪で使い続ける事は、仕方ないのかなと
漠然と考えていました。
しかしながら、今はドイツなどと同じように、原発ゼロを目指すべきだと
強く思いました。
大熊町から浪江町及び双葉町を車で通ったが、周囲は非常に緑の豊かな森が続いていた。しかしながらあちこちが帰還困難区域に指定されており、除染作業をする人や車以外にはほとんど人が見られず、全く生活の匂いがなかった。
津波により原発の設備が破壊されたことにより、人類にとってほとんど類を見ない、取り戻すが出来ない惨事が起こった事について、改めて深い悲しみに襲われた。
旅行初日に、大きなショックを受けてしまった。
テレビなどの報道だけでは理解出来ない事実を改めて突きつけられた。
二度と絶対に、このような惨事は繰り返してはならない。
宮城まり子さんの強さと優しさ、
まり子さんの子供達の素晴らしさに
絵を見ていたら、涙が出そうになる。
ブログを、WordPressで作り直している合間に、昔の投稿を見ていたら、
2012年8月に、以下のように書いていた。
>山を歩き始めてから、かれこれ15,6年。
>その時に立てた目標が、下記
>1)丹沢の赤の破線コースも含めた完全踏破
>2)槍ヶ岳、白馬岳、穂高岳の頂上に立つ
>丹沢、槍ヶ岳、白馬岳はだいぶん前に実現し、残りは穂高岳となっていた。
これを書いた時に、無事目標を達成している。
あらためて、目標を立てて行動したことが、自分にとって
とても良かったなあと思う。
目標を立て、それを達成したことで、その後の自分に自信を与えてくれている。
何事もそうだろうが、目標を持つ事が、本来自分が持っている力を
十二分に出してくれるのだと思う。
たまたま今日のチラシの中に、次のような寂聴さんの法話が載っていた。
「私たちは死ぬまで、可能性があるんです。自分の中にどんな可能性が
残っているか、それを引き出すことが「生きること」ですから。」
つい、だらだらと過ごしてしまう事が多いが、まだまだこれからも改めて目標を持って
何かをしなければと思う、今日この頃である。
昨日横浜線の車内で、音楽プレーヤーのiPodを落とし、駅を出てから気が付いた。
駅の窓口には駅員も不在で、半ば諦めて帰宅した。
その後もやはり諦めきれず、ダメ元で駅の忘れ物センターに電話をした。
するとちゃんと届いているではないか??
早速終点駅まで受け取りに行って、無事手元に戻った!
誰かが現金を落としても戻ってくる国だと言っていたが、
正に日本人の素晴らしさを実感した。
感謝、感謝??
連日のテレビでの被災地からの報道に、心が痛む。
東北の方々の辛さに比べれば、パン、おにぎり、ガソリンが無いとか、電車がなかなか来ないとか、満員で乗れないとか、計画停電なんてどうってことはない。
このブログも、部屋のヒータは使わずに、ブランケットを腰から下に巻いて書いている。
色々と他のブログ等にも書かれているが、このような事態になっても、日本人は整然と行動し、暴動、略奪、大声の怒りの声などが起こらないことが、日本人として大きな救いである。
地震発生以来、超満員の電車の中でも怒声を聞いたことがない。
一方、最先端の技術であるはずの原発の事故が、原始的な水に頼るのみというのも、情けないと同時に怒りを覚える。
大震災で亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、一日も早い復興をお祈り致します。
これを書いている今(2011/3/20 10:32)また地震があった。
震源は福島沖。相模原市は震度2か?
いい加減、地震に鈍感になって来ている。
明日は、家内の実家で、耐震対策のための便利屋さん。
家内の実家の地震対策(家具転倒防止)のための、ワイヤー等の部品を購入。
我が家でも、同じ方法で更に家具を補強した。(写真)
熱帯魚の水槽の周りにも、ずれ落ちないように止め金具を施す。
計画停電の発表以来、熱帯魚の水槽のヒーターが止まる事が一番心配。(写真)
観賞魚の店に行き、どのような対策が良いのか聞いてきた。
水槽の中に、ボウルを浮かべ、その中に熱湯を入れる方法が良いとの事で早速準備する。
魔法瓶に常に熱湯を入れて、水槽のそばに置いた。
また、テレビにも耐震対策を施す。
(十数年前に、出張中のメキシコの大地震で、ホテルの部屋の中の テレビが足元まで、1メートル位吹っ飛んで来た経験があるので、とても怖い。)
また、我が家の消火器は、数年前に期限切れで廃棄したままだったので、新たに購入。
今朝もJR横浜線は動いていたので、いつも通りに家を出た。
途中、会社近くのコンビニに寄ったが、パンもおにぎりも完売(未入荷?)
代わりに昼食用にカップめんを買う。
会社ではブラインドを全て開けて、不要な室内灯は全て消灯で仕事。
就業中、何度も小さな地震があった。
地震以来、毎日早朝に起きているため、疲れも溜まって来たため、会社には遅く出社する。
途中のコンビニでお昼のおにぎりを買おうと思ったが、無し。
パンを買う。
夕方お客さんと打ち合わせをしていたら、首都圏で大規模停電になるかもしれないので、直ぐに帰宅するようにとの指示が出た。
エレベータは使わずに、急いで会社のビルから出る。
途中JRが止まる事も考えて、いつものルートを変更して無事帰宅。
結局今日は、大規模停電は無かった。
停電になるかもしれないとの報道で、各社早く帰宅させたので電力需要が減ったせいでは?
これはいい手。
幸い、JR横浜線は動き出したので、5時過ぎに家を出た。
しかし、駅のホームでは、30分以上電車は来なかったが、何とか地震以来初めて会社にたどり着いた。
今日は、昨夜詰めたザックで出勤。
しばらくザックで通勤することとする。
会社では地震の話ばかりで、仕事にならない。
終業時間になったら、すぐに会社を出て帰宅する。
夜10時39分 また地震があった。震源は茨城。
この日もまだJR横浜線が動かず。
明日も電車が動かないとまずいので、自転車で町田市まで出て、そこから小田急線に乗ることも検討。
クロスバイクだと、急げば2,30分の距離。自転車置場を確認のため自転車で町田に出かけ、駐輪場を探すも、駅の近くは閉鎖、あるいは満員で駅からちょっと離れた駐輪場があるのを確認。
家に戻る途中、娘のアパートに寄り、様子を見る。
夜10時31分、今度は静岡の方で大きな地震があり、相模原市でも大きく揺れた。
危機を感じて、家族全員、自分のザックに防災グッズを詰める。
(以前阪神大震災があったときに、大きなリュックに防災グッズを詰めたが数年前に中身を点検したら、保存状態が良くなかったので、全部捨ててしまいそのまま何も準備をしていなかった。)
山行の様子を現地から携帯で投稿したり、日常の生活の中で撮った写真や、徒然なるままに思った事、雑感を投稿。