ブログを、WordPressで作り直している合間に、昔の投稿を見ていたら、
2012年8月に、以下のように書いていた。
>山を歩き始めてから、かれこれ15,6年。
>その時に立てた目標が、下記
>1)丹沢の赤の破線コースも含めた完全踏破
>2)槍ヶ岳、白馬岳、穂高岳の頂上に立つ
>丹沢、槍ヶ岳、白馬岳はだいぶん前に実現し、残りは穂高岳となっていた。
>その時に立てた目標が、下記
>1)丹沢の赤の破線コースも含めた完全踏破
>2)槍ヶ岳、白馬岳、穂高岳の頂上に立つ
>丹沢、槍ヶ岳、白馬岳はだいぶん前に実現し、残りは穂高岳となっていた。
これを書いた時に、無事目標を達成している。
あらためて、目標を立てて行動したことが、自分にとって
とても良かったなあと思う。
目標を立て、それを達成したことで、その後の自分に自信を与えてくれている。
とても良かったなあと思う。
目標を立て、それを達成したことで、その後の自分に自信を与えてくれている。
何事もそうだろうが、目標を持つ事が、本来自分が持っている力を
十二分に出してくれるのだと思う。
たまたま今日のチラシの中に、次のような寂聴さんの法話が載っていた。
「私たちは死ぬまで、可能性があるんです。自分の中にどんな可能性が
残っているか、それを引き出すことが「生きること」ですから。」
残っているか、それを引き出すことが「生きること」ですから。」
つい、だらだらと過ごしてしまう事が多いが、まだまだこれからも改めて目標を持って
何かをしなければと思う、今日この頃である。