今日は予報通りの大雪になった。
4年前を思い出させる。
いつものように、雪が降り出すと外に出たくなり、うずうずしてくる。
まさに犬が喜び庭かけまわる心境である。
雪除けは、物心ついた時からの手慣れた作業なので雪が降っている中を動き回るのはとても楽しい。
道路全ての雪除けをする体力はないので、半分ほど除けた。
新車にもうず高く雪が積もっている。
屋根に傷をつけたくないので、いつものように自然に溶けるまで運転はお預けである。
雪が溶けないうちに雪山を歩いて来よう。
明けましておめでとうございます。
昨年は、私にとって、かつて無いほどの言葉を絶する様な経験、感動的な出来事、心に沁みる出来事や、色々な方々との素晴らしい出会いがあった。
この歳になって、心が沸き立つ様な思いをするとは予想もしていなかった。
また目標に向かって、これほど積極的に行動した事も今までの人生の中では無かった様な気がする。
自分の想いは、それに向かって動くことによって実現していく事も実感しつつある。
今年は、何らかの形で、何とか自分の想いを少しでも実現出来たらと思っている。
今年もどうぞよろしくお願い致します。
自分の部屋にちょっと大きめのミシンを置きたくて、ここ1ヶ月程の間に、自分の部屋の断捨離を行った。
まだ、山の関係の荷物も見直さなければならないが、ついでに家中のものを見直し、かなりスッキリした。
あれだけ収納スペースが無かったのに、随分と余裕が出来た。
今まで捨てられなかった山ほどのものは一体何だったのか?
時間が経ったから捨てても良いようになったものや思い切って捨ててしまったものも沢山あった。
暇な時間が出来たら読もうと思ったものや、使おうと思っていたものもあったが、いつまでも暇な時が来そうになかったので、断行した。
また自分の思い出のものもあったが、それも自分には思い出があっても、家族にとっては何の意味もないもので、残されても困るであろう。
自分が居なくなったら、どうせ捨てられるだけのものだろうし、言わば生前整理のようなものだ。
最近は、毎日自分の部屋に入るのが楽しみになったが、出かける事も多く、世の中上手く行かないものである。
先日、ねむの木学園を訪れる事が出来た。
昨年東京で開かれた絵画展で、感動的な絵画を目にして以来、どの様な環境の中で生活し絵画を制作しているのかを見たいと思っていた。
静岡らしい温暖な山里の奥にねむの木村があった。
訪れた日は、あいにく寒風が吹いていたが、普段はのんびり散歩が出来そうな静かな場所であった。
昨年の絵画展では、同じ名前という事で声を掛けた男性がいたが、その方にも再会した。
村には茶室があり、たまたまその方がお茶を点てる日であったので、くぐり戸から茶室に入り、そこで一対一で、和菓子とお茶を頂きながら、ゆっくりとお話しする事が出来た。
昨年話しかけた事も思い出してくれた。
本格的な茶室で、お茶を頂いたのも初めてであったが、そこで2人だけでお話しが出来た事も貴重な経験であった。
今までに無いゆったりとした空間と穏やかな時間であった。
先日、ご令室とお会いした際に、私の想いをしたためた手紙をご令室に渡していた。
数日後には、ご令室から返信の葉書が届いた。
その葉書には、私の手紙をそのまま、村長さんに送られたということであった。
私の想いとは、ある作家についてより知らしめるために、ある村に設置されている文学碑のそばに、さらにその作家を紹介するような表示板を立ててはどうかという提案である。
さらに数日後には、村長さんからお電話があり、私の提案に対して早速会議を開き検討するように指示したとのご連絡であった。
表示板に書かれる文面については、その作家のご家族の方と相談されるとのことで、すでに動き出したようであった。
もし私に何か出来ることがあれば協力したいと申し出た。
皆さんの素早い動きと、私の提案への積極的な反応に、大変恐縮するとともに、実現へ向けて第一歩が踏み出されたことに対して、非常に感動している。
今日、ある式典で、私がこよなく愛する作家の
御令室に会う事が出来た。
今年で89歳になられると思うが、夫の文学館が
出来たこと、そしてその文学館の素晴らしさに、
目を潤ませながら挨拶の言葉を述べていた。
亡くなった夫もきっとこの辺りに来ている、
イヤ必ずいると仰っていた。
ご主人が亡くなって10年以上になるが、
文学界のおしどり夫婦と言われていた事を
納得させるようなお話であった。
ここ2年ほどの間に、親しくお付き合いをさせて頂くようになった先輩(友人)が何人も出来た。
ほとんどの方が、私よりも5歳ほど年上である。とても不思議な気がしている。
友人というのは、若い時に出来るものと思っていたが、年に関係なく友人が出来るものである。
2002年3月22日に、私のブログの雑感に、「波長」と題して、以下のように書いていた。
「しかし、この波長は安定度が悪く、いつも一定ではない。その日によっても波長は変化し、
また加齢と共に波長がずれて行き、いままで若い時には何の興味を持たなかったものに興味を覚えたり、
好きになったりする。ある時突然ある人を好きになったりするのも、波長のズレのせいかも知れない。」
まさに、加齢とともに、波長がずれていって、この年になって波長が合う人が現れた。
15年前に書いたブログの内容が、実証されたような感じである。
私の趣味、興味、行動を通して得られた友人たちであるが、皆さん素晴らしい才能をお持ちの方ばかりで
この貴重な関係を大切にし、波長がずれないようにしたいと強く思う今日この頃である。
高尾山に向かうバスの中で。
若い登山グループの男女が、話していた。
その大きなザックには何が入っているのと聞かれ、
女の人が、夢と希望と食料と・・と冗談を
言っていた。
いい言葉だと思った。
これから利用させてもらおうっと。
昨日は、早くホテルに入りゆっくりしたので
事故の後遺症も現れず、相変わらず元気です。
今朝、事故の相手の本人とお父さんから、
自宅の方に謝罪の電話があったと連絡を受け、
私の方から電話した。
本人は、かなり意気消沈していたが、
バイクの男性は昨日は自宅に戻ったとの事で、
それほど大事には至らなかったようだ。
本人には誰にも起こり得る事だから、そんなに
落ち込まないようにと伝えた。
透析はギリギリ間に合ったとの事で、良かった。
私は、事故に遭遇した今朝までは、10日近く
東北を運転していて、ハッとした事が無かった。
関東の方に比べて車のスピードが遅いのか
無茶な運転を見た事が無かった。
東北の人は大らかなのかなと考えていた。
何でだろうと考えていた矢先の事故だった。
相手からはすみませんと言う言葉も無かったのだが
何故か私は相手の加害者に対して、
それほど悪感情は湧いて来なかった。
加害者も茫然自失の状態だったのかも知れない。
その方は現場検証が終わった後、
すぐに透析を受けなければならないと
保険会社の担当の方から話を聞いたが
本人は私に対して何も話もせず、顔も見せずに
現場を離れた。
警察の事故調書作成の際にも、
相手を厳しく罰して欲しいかと言う
チェック項目があったが、私はごく普通の
処理で構いませんと回答した。
怪我をされた老人の気持ちは、私とは全く異なるでしょうが
自分も同じような加害者になり得る可能性を
考えると、複雑な心境だった。
今回の事故は、100/0という事で、
先方の保険会社がすべて対応して
頂いている。
合間にその保険会社の担当の方と話を
していたが、その方は震災の時は家は流されたが
家族は全員無事だった、家は無くなっても
家族が無事だったので他は何もいらないと
話をされていました。
事故処理についても、誠実に対応頂いたので
ぽてこさんに渡そうと思っていた三陸のせんべいを
その方に、復興支援の一部と言って何とか
受け取って頂いた。