今は、運転に気をつける事もなく、
リアス線の電車の中でノンビリしている。
昨日の事を考えていたが、ガソリンスタンドの
スタッフ、浄土ヶ浜の交通整理の方と震災時の時の
ことを話していると、お二人とも目が潤んで来る
のが分かった。
私は、すぐにもらい泣きしそうになる。
今は皆さん明るく前向きに生きていらっしゃるので
もう過去の立ち入った話は聞かない方が良いのかも
しれない。
今は、運転に気をつける事もなく、
リアス線の電車の中でノンビリしている。
昨日の事を考えていたが、ガソリンスタンドの
スタッフ、浄土ヶ浜の交通整理の方と震災時の時の
ことを話していると、お二人とも目が潤んで来る
のが分かった。
私は、すぐにもらい泣きしそうになる。
今は皆さん明るく前向きに生きていらっしゃるので
もう過去の立ち入った話は聞かない方が良いのかも
しれない。
今まで、私が質問した方で、作家 吉村昭をご存知の方は、
ほとんどいなかった。
なぜ東日本大震災の話の最中に、吉村昭? と思われるかも
しれないが、この作家は、私も失念していたのだが、
明治29年および昭和8年の時に起きた三陸海岸の
大津波について、 「三陸海岸大津波」(旧題 海の壁)という本を
著していた。
その中で、津波による被害を克明に記述されており、
予想を超える場所までに津波が襲って来たことが書かれている。
奥様である津村節子さんは、生涯吉村昭がどうしても
取れなかった芥川賞を受賞されている作家である。
この奥様が、東日本大震災が起こった直後に、
主人が生きていたら、自分が書いた本の教訓を生かせなかった
と大いに悔やむだろうと仰っていた。
この本の中には、岩手県の田野畑村における被害の状況も
書かれており、過去に津波石と呼ばれる巨大な石が津波によって
想像出来ないほど内陸にまで押し上げられたとのことで、
明日、出来ればその石を見に行こうと思っている。
上の看板は、今回、奇跡の一本松のところで写したもので、
これにも記憶の風化が被害を大きくした要因とも言われている
と書かれている。
(私は、吉村昭の著書は、120冊以上読んでおり、もう新たに
読めるものがほとんど無いのが、残念である。)
海がとてもきれい!
今も仮設に住んでいるという
交通整理の年配の方に聞いたら、
震災後は酷かったが、やっときれいになった
と仰っていた。
震災後、一時江ノ島に住んだが、海が汚いので
こちらに戻って来た、やはり津波が来ると
分かっていても、ここが良いと。
震災後は、沢山のボランティアの方たちが
復興を手伝ってくれた、日本人は素晴らしい!
と何度も仰っていた。
やはりその時に少しでも復興に関わることが
出来ていたらと思う。
追記
前出の方が、
ここはリアス式海岸で、津波が来ると高い波になるけど
リアス式海岸だから、すぐ後ろが高台なので、すぐに逃げる
ことが出来るから、生まれ育ったここに住み続けたい
と仰っていたのが印象的だった。
誰にとっても生まれ故郷とは、心安らかな場所なのだと思う。
道路工事をしている所ばかり走っていたので、車があまりにも汚かったので、宮古のガソリンスタンドで洗車した。
そこのスタッフの方に話を聞いたら、家が流されお母さんと姪っ子さんが無くなったと悲しそうな表情で話してくれた。
だんだん地元の人に話を聞くのが、辛くなって来た。
石巻には石ノ森萬画館があることを、初めて知った。
石巻市は、街中に石ノ森章太郎のアニメなど色々なものが
使われていて、石巻駅の建物にも震災前から使われていたとの事。
石ノ森萬画館も津波で大きな被害を受けたが、いまは石巻の
復興のシンボルとなっているそうだ。
いつもなら800円の入場料は敬遠するところだが、今回は躊躇なく
支払った。
駅前で、年配の男性に話しかけ、震災時の様子を色々教えて頂いた。
その方の奥様は早く山の方に逃げさせ、ご主人は息子さんが
戻るのを待って逃げたが、あと5分逃げるのが遅れたら家共々
流されたと言っていた。家族に亡くなった方がなかったのは
不幸中の幸いでした。
ご主人は自分でも自戒していたが、やはり甘く見ていたと
仰っていた。石巻ではほとんどの人がそう思っていたと
情報交流館の方がおっしゃっていた。