4/9(日)の山行計画

秦野まで、電車
1)秦野 ~ ヤビツ峠まで  バス
 (ただし、時間がうまく合わなければ、蓑毛までバスで、その先は、ヤビツ峠まで山道歩き)
2)ヤビツ峠 ~ 諸戸  車道歩き
3)諸戸 ~ 大山
 (悠歩さんに教えて頂いた、グレーの破線コース。 道はしっかりしているとの情報だった)
4)大山 ~ 唐沢峠方面の 893 (グレーの破線コース)
5)893 ~ 山神ずい道  (グレーの破線コース)
6)山神ずい道 ~ 広沢寺温泉(七沢) 車道歩き
  (膝の調子が良ければ、車道を歩かずに、鐘ケ岳経由広沢寺温泉へ下りる)
大山あたりで、不調であれば、見晴台経由、大山阿夫利神社からケーブルカーで下山する。

山行は明日に延期

今日、久しぶりに丹沢へ行く予定であったが、あいにく片付けなければ
ならない仕事が出来てしまい、今日は止めにして、明日に延期とした。
幸か不幸か、先ほどから雨が時折強く降り出している。
天気予報では、雷注意報も出ていたので、山行を明日に延ばして
正解だったのだろう。
来週はTちゃんと、久しぶりに丹沢を歩く予定になっており、私が途中で
へたばり迷惑をかけてしまうといけないので、明日は何としても丹沢へ
行き、体を山モードにしておかないといけない。
丹沢らしい山行は、2ヶ月ぶりになるので、調子が上がらないのでは
ないかと心配だ。
私の場合は、大体2週間に1回の山行をしないと、体がなまってしまい
調子が良くない。  3週間たってしまうと、その影響ははっきりと現れる。
(たった今、これを書いている間に、雷が鳴っている。天気予報は
正確だ!)

一山百楽

今朝のテレビで、山岳写真家、日本のファーブルとも呼ばれた、田淵行男の
ことを放映していた。
山をやる人なら皆さんご存知なのかもしれないが、私は正直あまり良く知らなかった。
この方は、「一山百楽」という名言を残したそうで、彼はその一回一回は決して
同じ常念ではなく、いつも何か新しい出会いがあると言って、200回以上常念岳に
登り続けたそうだ。
私は、この「一山百楽」という言葉を聞いて、自分はこれだな!と思った。
私も、数えたら丹沢には周辺の山域も含めて、200回以上の山行を数える。
色々な制約から、丹沢だけを歩き始め、一昨年には、S社の登山地図にあるコースを
完全踏破したが、それでもまだ歩き続けており飽きることはない。
同じ山でも、四季折々色々な顔を見せるので、田淵行男が言っている様に、まさに
「いつも同じではなく、いつも何か新しい出会いがある」と実感している。
だから、これからも丹沢を歩き続ける。

夏は近い??

先日、帰宅時の電車の中で。
途中の駅で、若いお母さんと、4,5歳位の男の子が乗ってきた。
私は、本を読んでいたが、すぐそばだったので、二人の会話が
耳に入ってきた。
子 「お母さん、○○ちゃんの誕生日はいつ?」
母 「8月よ。」
子 「じゃあ、もうすぐだね」
母 「夏だから、まだ随分先よ。」
子 (まじめな顔で)「春、夏・・」
母 「??」
本を読んでいた私は、思わず笑ってしまいそうになった。
子供の発想は、大人にはうかがい知れないものを持っている。
やはり、独創的な発明は、若い時でないと出て来ないのだろうか。

通夜に参列

山の遭難で亡くなった方の通夜があり、参列して来た。
記帳を済ませた後、焼香の為に、長い列に並んだ。
焼香をするまでに、20分以上かかった。
あまりに沢山の方が来られているので、係りの方が、心を込めて
お焼香は1回でお願いしますと言っていた。
会社勤めをしている男性の方ならいざ知らず、女性の葬儀にこれだけの
参列者が集まるのも少ないのではないだろうか。
やはりそれだけ亡くなった方の人望が、沢山の人を惹きつけた
のだろう。 山の会では教育部長も務められ、沢山の方々に山を
教えて来られたのだと思う。
別室には、彼女の遺品である山道具や山での沢山の写真が並べられていた。
彼女が如何に山に惚れ込んでいたのかを偲ばせるには十分な展示で
あった。
沢山の山仲間に見守られながら、あの世へ旅立った彼女は幸せだった
のかも知れない。
同じ死ぬなら、街中の病院などではなく、山で、というのは山を愛するものの
心の底にはあると思う。だから、彼女の息子さんも言われていたように、
彼女に取っては、本望だっただろうと思う。
お別れに、最後に見たお棺の中の彼女の顔のそばには、ヨン様の大きな写真が
並べて置かれていた。
何か、ほのぼのとして、安心して見送ることが出来たような気がした。
あらためて、心からご冥福をお祈りします。

ご冥福をお祈りします

今朝の新聞で見た、仙ノ倉山での遭難について、インターネットでその後の
救助がどうなったか調べていたら、2名の女性の方が、遺体で発見されたとの
記事が出ていた。死因は凍死との事であった。
亡くなられたお二人の方は、私が山の会に入っていた時に、お世話になり
一緒に丹沢を歩いた事がある方で、その頃からすでにベテランであった。
山の会に再度入会したら、その方にお会いし、また一緒に丹沢を歩きたいと
思っていただけに、非常に残念でならない。
仲間とはぐれ、どんなに寂しい思いをされた事でしょう。また、山の上で、どんなに
寒かったことでしょう。
心からご冥福をお祈りします。
どうぞ安らかにお眠り下さい。 

山岳遭難事故

今朝、毎日新聞の朝刊の1面に、山での遭難事故の事が、3件掲載されていた。
別の紙面にも2個所に詳細記事が載っていた。
読んでいたら、私が以前加入(現在は休会)していた山の会の9名のグループが、
20日に新潟で遭難し、現地の天候が悪く、まだ救助されておらず、連絡が途絶えて
いると書いてあった。
氏名を見ると、私が知っている方の名前が、2,3含まれていた。 一人は重傷で
一人は行方不明と書いてあった。 びっくりした。
山の会の事務所に電話を入れてみようかとも思ったが、新聞によると、家族の方々が
事務所に集まっていると書いてあったので、ご家族からすれば単なる興味本位にしか
取られかねないし、救助関係者からの電話を待っていると思われるので、電話は止めた。
新聞には、評論家が色々とああだこうだと、中高年の軽率な行動、山を甘く見ている
などと非難がましい事が書き連ねてあるが、冬山に行く人には、そんな山を甘く
見ているなんて人はほとんどいないはずだ。 
特にベテランになればなるほど、山の厳しさは十分認識していると思う。
この山の会の方々もベテランの方で、指導的な役割をされている方である。
ただ、何らかの予期せぬ出来事があったにせよ、何らかの落ち度があって、
遭難したという事実は謙虚に受け止めなければならない。
今頃は、救助作業が始まっていると思うが、とにかく、一刻も早く救助される事を
祈るばかりである。

ガイドウォークに参加

先日、山に行った時に、山頂で無料のガイドウォークをやっていたので参加した。
山頂周辺を一時間ほど、木々の説明を受けながら、歩くものだった。
天気も良く、のんびりと楽しく歩くことが出来たが、あいにく、いつもながら
木や花の名前を聞いても、初めて聞く名前だったり、聞いてもほとんど覚えられなかった。
説明をして頂いた方は、ビジターセンターの方で、名札には「インタープリター」と
書いてあった。自然について通訳してくれるという事なのだろうか。
そのガイドウォークに参加する為に、事務所で申し込んだ時に、その説明員の方に
対応していただいたが、とても感じが良い方だなあという印象を持った。
そして、ガイドウォークのスタート前に、事務所の前でその方と立ち話をしたが、
なぜか気持ちがとてもほのぼのとなった。 
ガイドウォークに参加する人達が集まって来るのを待っている間も、その方は
優しい目でその人たちを見守っているという感じだった。
理由は分からないが、話していると、ほっとするというか、安心するというか
そんな感じだった。
この様な印象を持った人にお目にかかったのは、初めての経験だ。
年は、60をちょっと過ぎた位だろうか、好々爺という感じとも違う、不思議な人だった。
感じたままを正確には表現が出来ないが、あのような方を、徳が備わった人
と言うのだろうか。
このガイドウォークは、毎日やっているようなので、また、新緑のころに来て
この方のガイドを聞いてみたいと思った。

山行の様子を現地から携帯で投稿したり、日常の生活の中で撮った写真や、徒然なるままに思った事、雑感を投稿。