この日もまだJR横浜線が動かず。
明日も電車が動かないとまずいので、自転車で町田市まで出て、そこから小田急線に乗ることも検討。
クロスバイクだと、急げば2,30分の距離。自転車置場を確認のため自転車で町田に出かけ、駐輪場を探すも、駅の近くは閉鎖、あるいは満員で駅からちょっと離れた駐輪場があるのを確認。
家に戻る途中、娘のアパートに寄り、様子を見る。
夜10時31分、今度は静岡の方で大きな地震があり、相模原市でも大きく揺れた。
危機を感じて、家族全員、自分のザックに防災グッズを詰める。
(以前阪神大震災があったときに、大きなリュックに防災グッズを詰めたが数年前に中身を点検したら、保存状態が良くなかったので、全部捨ててしまいそのまま何も準備をしていなかった。)
東日本大地震 発生後の記録(2011年3月14日 月)
会社へ行くために、早い時間に起きるも、テレビでJR横浜線が運休となっていることを知る。
車にガソリンを入れておこうと思い、食料の買い物がてら、いくつかの
ガソリンスタンドを回ったが、すでにどこも完売の張り紙があり、閉まっていた。
開いているガソリンスタンドもあったが、早朝にもかかわらず既に長蛇の列。
ガソリンセーブのため、諦めて帰宅。
ガソリンは、既に4分の1弱しか残っていないので、いざという時のためにガソリンが問題なく供給されるまでは、車に乗らないことに決める。
この日から、東京電力が、計画停電の実施を発表。
我が家では、10年以上?前の大雪による停電以来、暖房は昔ながらの石油ストーブを使用しているが、灯油も残り少ない。
いざという時のために、鍋、ペットボトルなどに水を貯める。
再び近くの大型薬局で、多少の食料を購入。それほど大変な食糧事情には陥らないだろうと楽観的に考えて、大量の備蓄は避ける。
東日本大地震 発生後の記録(2011年3月12日 土)
東日本大地震 発生後の記録(2011年3月11日 金)
午後2時46分、会社で仕事中に、それは突然やって来た。
それも長い時間続いた。
その後余震が来たので、階段を使用し、建物の外に非難。
大きな余震はおさまったようだが、携帯のワンセグには東北地方の
信じられないような光景が映し出されていた。
携帯の電話は通じず、メールで家族全員の安否を確認するまで
1時間以上かかった。
首都圏の鉄道は全てストップしたとのニュースがあったので、バスで
帰宅を考え、JR五反田駅でバスを1時間ほど待ち、渋谷駅へ。
バスの中では、他の客が、渋谷では、数万人がバスを待っていると話を
していたので、その時点でこの日のうちの帰宅を半分あきらめた。
バスの隣の席に、6ヶ月の赤ちゃんを連れた若いお母さんが乳母車と
手荷物を持って乗り込んできた。あまりの混雑で、そのお母さんの
手荷物を私のカバンの上に乗せ、乳母車も私が支えて、1時間半後に
渋谷に到着。
他の乗客とともに、そのお母さんが乗るバス停まで、一緒に付き添う。
さあ、次は自分の心配。 帰宅難民となるか?
漫画喫茶やカプセルホテルを当たるも、全て満席。
某大学が避難所として提供されているとのことで、そちらに向かう。
途中、2,3個所コンビニに寄ったが、パンやおにぎりは全て売り切れ。
かろうじて、小さな袋のお菓子をゲット。
大学の体育館?には、すでに多くの人が避難していた。(写真)
大学では、ホッカイロと防風シートをゲットしたが、そこの職員から
半蔵門線が動き出したとのことで、表参道駅に向かう。
しかし、実際にはまだ動いておらず、駅の通路に新聞を敷いて、
長期戦の構え。他にも沢山の帰宅途中の人が。
夜10時半過ぎに、電車が動き出した。
翌日の1時過ぎに、やっと中央林間駅にたどり着き、迎えに来た息子の車で、2時頃に帰宅。
百草園にて
百草園にて
高幡不動にて
雪は少なかった
雪を求めて
明日(もう今日ですが)は、雪がたくさん残っていそうな、
コースを狙って歩こうと思う。
道志みちの東野から入り焼山経由で
姫次まで歩き、ピストンの予定。
歩いて、体調を整えなければ。