歴史教科書


最近歴史教科書の記述内容の是非をめぐって、隣国との外交問題に発展している。
この種の問題が起こる度に思うことだが、なぜ戦後50年以上経った今でも非難され続けなければならないのか。村山首相のあの謝罪は何だったのか。事あるごとに、何度でも謝らせようと言うのか。
そこに彼らの狡猾さを感じるのは私だけであろうか。常に謝らせようとする態度、そのような外交カードを握ることで、交渉事を有利に進めようとしているとしか思えてならない。

日本が侵略者だった事は間違いないのだが、戦争には時効がないのであろうか。世界の2000年以上の歴史は、戦争、侵略、残虐行為の繰り返しである。正当化するつもりは全く無いが、日本が行った行為をはるかに上回る残虐行為は数え切れない。それを言い出したら、皆すねに傷を持っており誰も相手のことは非難できないはずである。それなのに、なぜ日本だけがいつまでも非難され続けるのか。

理由は日本政府の姿勢にもあるのだろう。毅然とした態度を取ることもなく、自分の確固たる意見も持たず、周囲の状況を卑屈に窺いながら、水に流されるように成り行きに身を任せてしまう。援助の金を山ほど捨てるように与えても、意見は言えない、聞いてもらえない、誰にも相手にもされない、そんな悲しい国になってしまっている。

日本が侵略した国に対してきちんと謝罪して、清算する機会は、過去何度もあったはずである。それを、訳のわからない屁理屈で、自分の非を認めずに今まで来てしまったのである。
何十兆円もの税金をバブルではじけた泥棒に追い銭するくらいなら、いくらでも方法はあったはずである。
昔の人の行為に対する責任を、子孫が受け継ぐのは理不尽なことである。
公平な歴史認識を持ち、自分の犯した罪は、自分が生きている間に償ってもらわなければ困る。

さもなくば、100年、200年いや1000年経っても非難され続ける。

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