新旧の建物

今日は、女川に来ました。

上の写真は、新しくなった女川駅です。

下は、たくさんの生徒が亡くなった、被災した時のままの
大川小学校です。
生徒の避難方法(方向)に問題があったと、訴訟問題になっている
ところですね。

どちらの光景を見ても、何と表現をしていいのか分かりません。
新しくなったからと言って、喜べないし。

でも女川駅前には、色々な店が集結し、未来に向かって
みなさん明るく元気に働いていました。

石巻駅前で


石巻には石ノ森萬画館があることを、初めて知った。
石巻市は、街中に石ノ森章太郎のアニメなど色々なものが
使われていて、石巻駅の建物にも震災前から使われていたとの事。
石ノ森萬画館も津波で大きな被害を受けたが、いまは石巻の
復興のシンボルとなっているそうだ。
いつもなら800円の入場料は敬遠するところだが、今回は躊躇なく
支払った。

駅前で、年配の男性に話しかけ、震災時の様子を色々教えて頂いた。
その方の奥様は早く山の方に逃げさせ、ご主人は息子さんが
戻るのを待って逃げたが、あと5分逃げるのが遅れたら家共々
流されたと言っていた。家族に亡くなった方がなかったのは
不幸中の幸いでした。
ご主人は自分でも自戒していたが、やはり甘く見ていたと
仰っていた。石巻ではほとんどの人がそう思っていたと
情報交流館の方がおっしゃっていた。

原発に想うこと

大震災が起こってから、直後のゴールデンウィークに
ボランティアで何かサポートしたいと思い、調べたら
人が沢山集まって来るので、時期を外してきて欲しいとのことだった。
そのために被災地を訪れる機会がなかなか無く、それ以来何も出来ずに
今日に至っており、私の気持ちの中でくすぶっていて、
ずっ〜と気になっていました。

今となっては、体力もないので、大したことは出来ないのですが
まとまった時間が取れるようになったので、またせめてわずかでも
お金を落とすことで、復興のためのささやかな支援になればと思い、
今回思い切って、やって来ました。

旅行初日に、原発の大熊町、浪江町に行きましたが、
自然豊かな一帯がほとんど帰還困難区域の指定になっていて
除染作業の人と車しか無く、まるで死の街になっています。
これが何十年も続くのかと思うと、暗澹たる気持ちになりました。

テレビなどの報道では感じることが難しいことを
肌で感じることが出来て、それが旅行初日で良かった。

今までは、原発は必要悪で使い続ける事は、仕方ないのかなと
漠然と考えていました。
しかしながら、今はドイツなどと同じように、原発ゼロを目指すべきだと
強く思いました。

石巻の状況

情報交流館館長のリチャードさんと対談した。
ご存知の方もいると思いますが、最近テレビで紹介されていたイギリス人のリチャードさんがNHKの取材を受けて、その際にリチャードさんと私が対談しているところも撮影された。
ニュースで報道されてしまうそうです。
でも仙台地方だけらしいので、ホッ!?

イギリス人でありながら地域の復興に尽くしている姿を見て、つい何度も有難うございますと言う言葉が出てきてしまった。

石巻は被害額において、東北で一番多かった自治体の様です。

福浦島を一周


福浦島を歩いて1周しました。
地元のおばさん達がアサリをとっていました。

話によると松島は島が多いおかげで、震災の影響はほとんどなかったと言っていました。死者は1名も出なかったとの事でした。良かった。

原発について

大熊町から浪江町及び双葉町を車で通ったが、周囲は非常に緑の豊かな森が続いていた。しかしながらあちこちが帰還困難区域に指定されており、除染作業をする人や車以外にはほとんど人が見られず、全く生活の匂いがなかった。
津波により原発の設備が破壊されたことにより、人類にとってほとんど類を見ない、取り戻すが出来ない惨事が起こった事について、改めて深い悲しみに襲われた。
旅行初日に、大きなショックを受けてしまった。
テレビなどの報道だけでは理解出来ない事実を改めて突きつけられた。

二度と絶対に、このような惨事は繰り返してはならない。

大熊町に着きました


ただいま大熊町の福島第一原発の近くまで来ましたが、写真の通り立入禁止になっているために途中で引き返しました。。
あちこちに除染作業の車が走っています。

途中の家は空き家になっていて、改めて震災の被害の大きさを実感しました。
via PressSync