明日から恒例の山籠もりに入ります。
大まかな行程は、以下の通りですが、天候次第で変わります。
北アルプスの表銀座コースと呼ばれる、ポピュラーなコースです。
燕山荘からのメール情報によると、燕岳山頂の気温は、お昼でも17℃とのことで、寒さ対策が必要なようです。
10数年前に歩いたコースを、今回は3脚を持って、1日の歩行時間は、3~4時間位に設定し、ゆっくりのんびり雄大な景色を眺めながら写真撮影を楽しもうと思っている。
カメラの電池が準備したバッテリで持つかが気がかりであるが。
1日目:穂高泊
2日目:燕山荘泊(中房温泉の登山口から、燕岳を目指す)
3日目:大天井ヒュッテ泊
4日目:ヒュッテ西岳泊
5日目:槍ヶ岳山荘泊
6日目:槍沢ロッジ
7日目:上高地、松本へ
ある店で私が用事を終えて店を出る際に、応対していただいた女性から、暑いので気をつけてお帰り下さいと、笑顔で見送って頂いた。
最近特に思うが、心のこもった?笑顔には魔力があると思う。
たとえ相手側に何かちょっとした不手際があっても笑顔はそんな些細なことを吹き飛ばしてしまいこちらも笑って許してしまうような寛容な気持ちを抱かせる。
それは決してこちらが男だからと言う訳では無いと思う。
多分女性が女性から笑顔を見せられたとしても悪い気はしないだろう。
またこれも最近経験した事であるが相手の方が男性で、こちら側の面倒な話に耳を傾けて頂き、最後に笑顔でまたいつでもおいで下さいと言われた。
本当にまた行きたくなってしまう。
世の中いろいろとぎすぎすしていても、笑顔というものは、険悪な状況すら氷解させてしまうような力があると思う。
用事があり都心まで来て、地下鉄に乗っていた。
ある駅で車椅子に乗った若い女性が降りた。
その駅の駅員さんが、ホームと車両の間に板を渡していた。
その女性を見ていたら、その駅員さんには一瞥もくれず当たり前のように、そのままさっさと降りて行った。
これは何だ!と思った。
その女性にとっては、毎度のことで当たり前の事になっているのかもしれない。
あるいは何らかの事情があったのかもしれない。
でも一言発しなくても、会釈でもいい、何らかの感謝の気持ちを表す姿勢があってもいいのでは?
改めて自分に置き換えてみた。
自分が相手に対して何かをして感謝されると自分が嬉しくなるし、また逆もまた然りだと思う。
それが人の習慣になると、この世の中生き易くなるのだろうなあ。
6合目は、20℃!
下界の人には申し訳けないが、
寒くて風邪をひきそう。
もう山開きになってしまったが、涼しさを求めて富士山へ。
久しぶりに新5合目まで行くバスに乗る。
7合目辺りまで歩き、帰りは車を置いてあるいつもの水ケ塚公園まで歩いて下りて来よう。
霧に包まれた富士山の幻想的な樹林を撮影しようと、わざわざ天気があまり良くない日を選んでやって来たが、これからという時にカメラの電源が入らなくなってしまった。
何てこと!!
カメラは、山の中を歩く事も考えて軽い方を持ってきたが、2台持って来るべきだった。
残念!!
今日は、車で5合目から1合目まで下りてくる途中は数m先しか見えないほどの濃い霧に包まれ、かと言って雨は気にならない程度で、こんなチャンスは滅多に無かったのに、本当に悔しい。
人生ってこんなものか。
ここまでずっと海岸沿いを走って来たが、この辺りは北のほうに比べてまだまだ海岸沿いでの工事が続いている。
震源地が近かったため、海岸沿いの被害も大きかったのだろうか。
復興工事の規模を見ていると、如何に震災被害が甚大だったのかがよく分かる。
こんなにも無残に人間の生活基盤を一瞬で無に帰す自然の猛威に畏敬の念さえ覚えると共に自然の中に入って行く時は、人間を受け入れて頂くように祈るしかないと思う。
だから人間は大昔から、山の神様にお祈りしてから入山するのだろう。
気仙沼で
岩手県の太平洋岸を車で走り、南下して宮古まで来た。
宮古では、昨年と同じホテルに泊まったが、一年前と同様いまでも宿泊客の8~9割近くは、工事関係者と思われる方々である。
ここまで来る途中の海岸沿いは、1年前に比べて工事をやっているような個所は少なくなった感じがする。
また1年前にはなかった新しい自動車道路が出来ていた。
(私のカーナビのデータ更新が必要である。)
しかし、状況からすると、工事の場所が、海岸沿いの道路から、
内陸側に移っているだけで、内陸側の小高い土地を削ってならしていると思われる場所が多く見られた。
昨年も、地元の人も復興はまだあと10年と言っていたが、
やはりその位はかかりそうな気がする。
もっと集中的にスピードを上げて出来ないものかと思う。
出来ない理由を考えないで、出来る方法を考えれば必ず出来ると思うのだが。
宿で、県の職員の方とお話をする機会があった。
その方は、震災後に復興活動に活躍され、現在は県の防災の関係の業務にかかわっているとのことであった。
また、それ以外にも、震災で避難した時に、避難所でペットと共に過ごせた人はわずかだったという教訓から、ペットと同伴での避難訓練を行ったり、被災した犬を保護し、一時預かり、里親探しなどを行っているNPOの活動にも携わっているとのことであった。
また私と同じように、作家吉村昭についても、少なからず関係しており、私と同じように、津村節子さんにも手紙を渡したりと、私と同じようなことをされていた。
今回は、宿の方に、パソコンを教える機会を得た。
日々の仕事で困っているとのことで、パソコンが使えるようになれば、とても助かるとおっしゃっていた。
まずは、キー操作がスムーズに出来るように、私が大昔練習した方法を教えた。私の娘にも教えた方法であり、一週間で必ず効果が出ると期待している。
エクセルが使えるようになるのが、当面の目標であるが、教える時間が限られているので、最低限の使い方を説明した。
あとは宿題を渡して、テキストを見ながら自習していただこうと思う。
また次に村を訪れる時に、進度を見るのが楽しみである。
昨年来ここ東北に来る時に、何らかの形で復興支援につながる事が出来ないかと思い続けていたが、パソコンを教えてそれが村の人にとって役立つのであれば、それも復興支援と思いたい。
以前からボランティアで、パソコンを教えて来たが、今回は自分にとって、もっとも嬉しいボランティア活動である。
これからもこの活動が、継続、拡大出来れば、ますますこの村に
来ることが楽しみになるだろう。
たまたま昨日のテレビで、最新の研究で、寝たきりにならないためには、運動だけでなく、それ以上に、人とのつながりがより重要であるとの驚くべき結果が出たと言っていた。
山歩きとボランティア活動を生涯続けたいと思う。
村の宿で、八戸から来たという方と一緒になった。
その方は、中学生の時に遠足でここに来て以来、魅せられて30年位
この村に通っているとのこと。
いまでは、ご家族も年に数回一緒に宿泊もされているとのこと。
でもその方は、この村に来ても、宿の食堂でただ座って数時間を
過ごすことが多いという。また宿のご主人とも長話をして、
帰っていくという。
そんな人もいるんだなあと思ったが、翌朝の客は私一人だったが
気が付いてみると、私も朝食後、室内を通り抜けるさわやかな風に
身を任せながら、飽くことなくぼんやりと外を眺めている自分に気が付いた。
ああ、これなんだと思った。
山行の様子を現地から携帯で投稿したり、日常の生活の中で撮った写真や、徒然なるままに思った事、雑感を投稿。