感謝の気持ち

用事があり都心まで来て、地下鉄に乗っていた。

ある駅で車椅子に乗った若い女性が降りた。
その駅の駅員さんが、ホームと車両の間に板を渡していた。
その女性を見ていたら、その駅員さんには一瞥もくれず当たり前のように、そのままさっさと降りて行った。

これは何だ!と思った。

その女性にとっては、毎度のことで当たり前の事になっているのかもしれない。
あるいは何らかの事情があったのかもしれない。

でも一言発しなくても、会釈でもいい、何らかの感謝の気持ちを表す姿勢があってもいいのでは?

改めて自分に置き換えてみた。

自分が相手に対して何かをして感謝されると自分が嬉しくなるし、また逆もまた然りだと思う。

それが人の習慣になると、この世の中生き易くなるのだろうなあ。

「感謝の気持ち」への2件のフィードバック

  1.  全く同感です!
     誤解を恐れずに、いうなら、この女性「障害があることを権利だ」と思っているフシがありますね。
     僕は、年寄りで、電車に乗ると、よく席を譲られます。
     遠慮なく座らせてもらいますが、必ず「ありがとう!」、自分の降りる時に、その人が、まだ立っておられたら、「どうも!」と声をかけることにしてます。
    「年寄りを権利としてはいけない」と思ってます。

  2. コメントありがとうございます。
    私も席を譲られる事が多くなりました。
    気持ち良く譲ったり、譲られたりがあると
    電車に乗っていても楽しくなります。

    何事もあまりに権利を主張し過ぎると、
    認めるのも嫌になってしまいますね。

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