
こんな事態になるとは、だれが想像したであろうか。
コロナウイルスのために、緊急事態宣言が出て以来、山に行くことも憚られ、体重が増えないように気を付けながら、時々家の近くを散歩する程度で、家の中でほとんど過ごす毎日である。
とは言いながら、無為に過ごせない性分で、いろいろやっているが、時間がたっぷりあるので、WordPressのテーマを変更して、
ホームページをリニューアルしている。
昔のHTML版の日々の山行記録をすべて、WordPress版のホームページに移行するのは、膨大な時間がかかりそうなので、とりあえず目次レベルでページを、移し替えた。
少しずつ、いろいろ手直しをして行こう。
いつまでこの状況が続くのか?
今日は久しぶりに、丹沢へ
西丹沢ビジターセンターから、下棚本棚まで歩いた。
台風の爪痕が至るところにあった。
いつものコースが、ちょっと変わったりしている。
このコースは、丸太を組んだ橋を何ヶ所か渡るのだが、
私はいつも恐る恐る歩くのが常であった。
今日も最初の2、3ヶ所は、いつも通り歩いていたが、
そのうちいつの間にか平気で歩いている自分を発見し、驚いた。
意識して歩いてみたら、まったく怖さを感じておらず、ルンルン気分で歩けたことにびっくりした。
今まで長い間山を歩いてきてが、今頃になって、
やっと山に慣れて来たのか!
やはりもっともっと山を歩けと言うことか。



20数年前にも行ったはずだが、すぐそばまで
来たので、宮沢賢治記念館を訪れた。
記憶に無いので、多分建物は新しくなっているのだろう。
展示方法も他には見られない、とても分かりやすい配置だと感じた。
この記念館を見ながら、これからの将来、数十年間このようなある特定の人物の記念館というものが建設される事があるのだろうか、とふと思った。
宮沢賢治のような、多分野に秀でて、今だに語り継がれるような人物は、残念ながら全く見当たらない。

スマホでなおかつスケジュールのアプリを使っている人は、
経験があると思うが、ホテルを予約するとその宿泊予定が、自動的にスケジュール帳に書き込まれる。
今回ある場所のホテルをスマホで予約したらスケジュール帳に、同じ系列のホテルではあるが、全く違う場所のホテルに宿泊と、自動的に書き込まれていた。
しかしながら、予約完了の返信メールは、私が予約したホテル名のものだけで、スマホに記載されたホテル名の返信メールは入っていなかった。
これは当然といえば当然。
しかし、気になったので、翌日違った場所のホテルに電話したら、危惧した通り、何と同じ日に2つのホテルが予約されていた。
そのホテルの人には、私のスマホでの現象を説明して間違っている方の予約をキャンセルしてもらった。
また、何らかのシステム上の不具合がある可能性がある事を、ホテル側に伝えた。
私がホテルに確認しなければ、余計な出費を強いられるところであった。
ここ田野畑村では、いろいろな出会いがある。
今日はたまたま同宿という事で、日本画家の方と一緒に、私の車で何ヶ所か、スケッチ(撮影)ポイントを回った。
私と同じように、ここ北山崎のヤマセと絶景に魅せられたびたび訪れているとの事だった。
レベルはかなり違うだろうが、風景を見る目は似ているように思うし、話題もかなり共通しており良い時間を過ごさせて頂いた。
また、大震災前の前に、2年間ここに住んでいたというご夫婦にも会ったが、ここは観光地化されておらず絶景もありとても良いところだと、おっしゃっていた。
だからこそ、いまだにご夫婦でここを訪れているのだろう。
この村が好きで何度も訪れている人に会うと自分の感覚はおかしくないのだと、とても嬉しくなる。
東北からの帰途、帰還困難区域である、双葉町と大熊町を
車で通った。
二輪車や歩行者は、この区間は通行不可となっている。
この約十数kmの区間には、原発事故のその後の除染作業などの人たちのみが働いている。帰還困難区域であるにもかかわらず、特に防御服のようなものは身に着けていない。
道路沿いの建物は、大震災以降、まったく人は立ち入ることが
出来ず、建物は朽ち果てるままになっており、まさにゴーストタウンとなっている。
日本の中にこんな場所があるなんて信じられない。
一度でいいから、色々な人にこの場所を見て欲しい。
なぜこんなことになったのか、これからもこのような場所が作り出される心配はないのか?
その原因となった原発を止めて、クリーンなエネルギーに置き換えようという考えにならないのか?
喉元を過ぎて、また原発を稼働させようとする考え方がまったく理解できない。


半年ぶりに東北を回っている。
海岸沿いの町では、半年前に比べてずいぶんと新しい建物が
増えてきたように思われる。防波堤もその建設が進んでいる。
以前から思っていたが、あれだけの大津波がまたやって来る可能性があるのに、なぜ大震災以前と同じ場所にまた建設するのかが、ちょっと理解できずにいた。
漁業の人たちは、海に近いほうが良いのは理解できるが、それ以外の人たちは、もっと海から離れたところに住むべきではないかと、ずっと思っていた。
しかしながら、何度か東北を訪れるうちに、何度津波が来ようと自分が生まれ育った場所に住み続けたい、津波に負けるものかという気持ちで住み続けているんだろうなあ、と今回ふっと思った。
ここの駐車場の中に、震災時の写真が展示されて語り部の方が説明されていた。
当時の写真を見て、改めて災害の甚大さを認識した。

田野畑村の宿の方から、
村のホールで映画があると教えていただき見てきた。
田野畑村を舞台とした、酪農家の家族のドキュメンタリー映画で、家族の強い絆と葛藤、意見の衝突などが描かれている。
上映後に、監督と主人公ご夫妻のサイン会もあり記念に頂いてきた。
とてもいい映画であった。
また田野畑村の厳しい現実も垣間見ることが出来たような気がする。

このところ色々な事が続き、行こうと思いながら行けなかった東北へ、やっと明日向かう事が出来る。
東北では桜前線はちょっと前に通り過ぎたばかりなので、新緑の東北に出会えるだろうか?
各地の復興がどのくらい進んだのかも気になる。
顔なじみになった人たちと再会できるのがとても楽しみである。
昨日は、山で知り合った人たちと、冬の富士山を散歩して来た。
歩行時間は短かったが、地図読みの復習をしたりガスバーナーを使ったり、ツェルトでビバークごっこをしたりと、のんびり遊んで来た。
雪はわずかだが積もっていて、また空気は凛として冷たい中、10日ぶりの雪山山行となった。
今まではほとんど単独登山であったが、グループでの登山も捨てたものではない。
何の損得勘定もない同好の士は良いものである。
やはり山はいい!

今日の銀座での出来事は、本当に思わぬ再会であった。
3日前から東京に来ていて、明日には村に帰られるという方にバッタリと出会ったのは、何という邂逅だろうか。
豊洲に行く前に東銀座に立ち寄るというのは、明日の予定であったのに、たまたま他の都合の関係から今日に繰り上げたのであった。
いつも思う事であるが、自らが積極的に動くと、必ず何か得るもの、良いことがある。
たまには何か予期しない悪いことも起こるかも知れないが、たいていは良い方向の出来事だったように思う。
これからも体が動く限りは、積極的に行動を起こして行きたいと思う。
田野畑村の人に会ったせいか、無性にまた村に行きたくなって来た。
山行の様子を現地から携帯で投稿したり、日常の生活の中で撮った写真や、徒然なるままに思った事、雑感を投稿。