今回のこの旅行に際して、ある方から原発について
どう考えるかと言う、課題を頂いた。
旅行初日に原発のそばを通り、
その後、車を走らせながらずっと考えていた。
結論としては、そんな事はあり得ないが、
想定外の事故が起こっても絶対に安全でない限り、
どの様な理由付けがあろうとも原発を稼働すべき
ではないと思う。
小泉さんが言われる様に、「即原発ゼロ」にすべき。
なぜなら、他に選択肢があるにもかかわらず
自然豊かな広い地域に、子々孫々まで
踏み込むことを許さない様な選択を、現代の人が
勝手に選択する事は許されない事だと思うから。
今回の事故によって、今まで及び将来にわたって、
何十兆円もの金が浪費される事になると思うが、
それだけの金が有ったら、クリーンなエネルギーを
手に入れる事が出来るはず。
今現在、後ろ向きの除染作業などをしている
人達、また同じくこれから数十年にもわたって
後ろ向きの業務をしなければならない東電の社員が
いるのかと思うと、これまた大変な気の毒な事だと思う。
その場しのぎの金勘定で、目の前にある安易な、
経済的と誤解した選択がされてしまった結果だと思う。
現実に、震災後はしばらくの間、原発は全て
停止させても、日本の国民は生活が出来ていた。
これは原発が無くても生活が出来ると言うなによりの
絶対的な証明である。


気仙沼港で、初めてカツオの水揚げの様子を見た。
以前の活気が戻り、忙しいそうです。
大量のカツオに沢山の人が群がり、カツオ君が
ちょっと可哀想。


今回は、まだ予定の半分くらいしか見ていないが、
行く先々、道路、地盤、建物の工事中で、
報道でも言われているが、復興はまだまだ先で、
工事は少なくともあと5年は続くのではないだろうか。


今日は、女川に来ました。
上の写真は、新しくなった女川駅です。
下は、たくさんの生徒が亡くなった、被災した時のままの
大川小学校です。
生徒の避難方法(方向)に問題があったと、訴訟問題になっている
ところですね。
どちらの光景を見ても、何と表現をしていいのか分かりません。
新しくなったからと言って、喜べないし。
でも女川駅前には、色々な店が集結し、未来に向かって
みなさん明るく元気に働いていました。


石巻には石ノ森萬画館があることを、初めて知った。
石巻市は、街中に石ノ森章太郎のアニメなど色々なものが
使われていて、石巻駅の建物にも震災前から使われていたとの事。
石ノ森萬画館も津波で大きな被害を受けたが、いまは石巻の
復興のシンボルとなっているそうだ。
いつもなら800円の入場料は敬遠するところだが、今回は躊躇なく
支払った。
駅前で、年配の男性に話しかけ、震災時の様子を色々教えて頂いた。
その方の奥様は早く山の方に逃げさせ、ご主人は息子さんが
戻るのを待って逃げたが、あと5分逃げるのが遅れたら家共々
流されたと言っていた。家族に亡くなった方がなかったのは
不幸中の幸いでした。
ご主人は自分でも自戒していたが、やはり甘く見ていたと
仰っていた。石巻ではほとんどの人がそう思っていたと
情報交流館の方がおっしゃっていた。
大震災が起こってから、直後のゴールデンウィークに
ボランティアで何かサポートしたいと思い、調べたら
人が沢山集まって来るので、時期を外してきて欲しいとのことだった。
そのために被災地を訪れる機会がなかなか無く、それ以来何も出来ずに
今日に至っており、私の気持ちの中でくすぶっていて、
ずっ〜と気になっていました。
今となっては、体力もないので、大したことは出来ないのですが
まとまった時間が取れるようになったので、またせめてわずかでも
お金を落とすことで、復興のためのささやかな支援になればと思い、
今回思い切って、やって来ました。
旅行初日に、原発の大熊町、浪江町に行きましたが、
自然豊かな一帯がほとんど帰還困難区域の指定になっていて
除染作業の人と車しか無く、まるで死の街になっています。
これが何十年も続くのかと思うと、暗澹たる気持ちになりました。
テレビなどの報道では感じることが難しいことを
肌で感じることが出来て、それが旅行初日で良かった。
今までは、原発は必要悪で使い続ける事は、仕方ないのかなと
漠然と考えていました。
しかしながら、今はドイツなどと同じように、原発ゼロを目指すべきだと
強く思いました。
大熊町から浪江町及び双葉町を車で通ったが、周囲は非常に緑の豊かな森が続いていた。しかしながらあちこちが帰還困難区域に指定されており、除染作業をする人や車以外にはほとんど人が見られず、全く生活の匂いがなかった。
津波により原発の設備が破壊されたことにより、人類にとってほとんど類を見ない、取り戻すが出来ない惨事が起こった事について、改めて深い悲しみに襲われた。
旅行初日に、大きなショックを受けてしまった。
テレビなどの報道だけでは理解出来ない事実を改めて突きつけられた。
二度と絶対に、このような惨事は繰り返してはならない。
宮城まり子さんの強さと優しさ、
まり子さんの子供達の素晴らしさに
絵を見ていたら、涙が出そうになる。

ブログを、WordPressで作り直している合間に、昔の投稿を見ていたら、
2012年8月に、以下のように書いていた。
>山を歩き始めてから、かれこれ15,6年。
>その時に立てた目標が、下記
>1)丹沢の赤の破線コースも含めた完全踏破
>2)槍ヶ岳、白馬岳、穂高岳の頂上に立つ
>丹沢、槍ヶ岳、白馬岳はだいぶん前に実現し、残りは穂高岳となっていた。
これを書いた時に、無事目標を達成している。
あらためて、目標を立てて行動したことが、自分にとって
とても良かったなあと思う。
目標を立て、それを達成したことで、その後の自分に自信を与えてくれている。
何事もそうだろうが、目標を持つ事が、本来自分が持っている力を
十二分に出してくれるのだと思う。
たまたま今日のチラシの中に、次のような寂聴さんの法話が載っていた。
「私たちは死ぬまで、可能性があるんです。自分の中にどんな可能性が
残っているか、それを引き出すことが「生きること」ですから。」
つい、だらだらと過ごしてしまう事が多いが、まだまだこれからも改めて目標を持って
何かをしなければと思う、今日この頃である。
昨日横浜線の車内で、音楽プレーヤーのiPodを落とし、駅を出てから気が付いた。
駅の窓口には駅員も不在で、半ば諦めて帰宅した。
その後もやはり諦めきれず、ダメ元で駅の忘れ物センターに電話をした。
するとちゃんと届いているではないか??
早速終点駅まで受け取りに行って、無事手元に戻った!
誰かが現金を落としても戻ってくる国だと言っていたが、
正に日本人の素晴らしさを実感した。
感謝、感謝??
連日のテレビでの被災地からの報道に、心が痛む。
東北の方々の辛さに比べれば、パン、おにぎり、ガソリンが無いとか、電車がなかなか来ないとか、満員で乗れないとか、計画停電なんてどうってことはない。
このブログも、部屋のヒータは使わずに、ブランケットを腰から下に巻いて書いている。
色々と他のブログ等にも書かれているが、このような事態になっても、日本人は整然と行動し、暴動、略奪、大声の怒りの声などが起こらないことが、日本人として大きな救いである。
地震発生以来、超満員の電車の中でも怒声を聞いたことがない。
一方、最先端の技術であるはずの原発の事故が、原始的な水に頼るのみというのも、情けないと同時に怒りを覚える。
大震災で亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、一日も早い復興をお祈り致します。
これを書いている今(2011/3/20 10:32)また地震があった。
震源は福島沖。相模原市は震度2か?
いい加減、地震に鈍感になって来ている。
明日は、家内の実家で、耐震対策のための便利屋さん。
山行の様子を現地から携帯で投稿したり、日常の生活の中で撮った写真や、徒然なるままに思った事、雑感を投稿。