注意力


昨日例によって丹沢を歩いたが、初めて気が付いたことがあった。それは、今まですでに何度も目にしていたはずの標識である。

それは、川を渡る橋の手前に立っていて、今までに何度かそこの川の水で体を冷やした場所であった。昨日も余りの暑さで、川の水でタオルを濡らしていたら、他の中年女性2人組の人から、「おじさん、ここに名水があるよ」と声を掛けられた。私よりも、明らかに年輩のおばさんに、おじさんと言われ少しムッとしたが、確かに指を指す所に水が出ており、直ぐそばに「全国名水百選 秦野盆地湧水群水地」と書いた背の高い立派な標識が立っていた。

その標識は新しく立てられた様子もないので、今までずっとそこにあったはずである。それなのに何故今まで気が付かなかったのか、不思議でしょうがない。

人間とは不思議なもので、実際には見えていながら、見ていないとか、聞こえていながら、聞いていないということが良くある。
町中を歩いていても、普段全く用事のない店には関心が無く、何の店かも知らない。 ところが、いざ必要になり、探し回ってこんな所にこんな店があったのだと気づいたりすることがよくある。
先日の、丹沢で沢山の鳥の声に気が付いた時もそうであった。おかげで最近は、歩いていて鳥の声によく気が付くようになった。

関心がある事には、すぐに気がつき、すぐに覚えたりするが、関心がないことには、気が付かないしましてや覚えられない。何でもかんでも気が付きすぎると、人間疲れるものだ。 疲れないために、体が自動的に防御機能を働かせているのだろう。

エライ人が「私は聞いていない!」とか、「私は知らない!」とか言うのも、防御機能を働かせているからであろうか?

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