予定通り、いつもの宿に到着した。
ちょうどご家族の方々が昼食後だったようでお茶を頂きながら、色々お話をさせていただいた。
まるで私も家族の一員になったような気分で、自分の故郷に帰ったようで不思議な感じであった。
いつもすんなり受け入れていただき、感謝である。
ご主人からは、今後の事についても色々お話を頂いた。
これもとても有り難く、嬉しく感謝である。
予定通り、いつもの宿に到着した。
ちょうどご家族の方々が昼食後だったようでお茶を頂きながら、色々お話をさせていただいた。
まるで私も家族の一員になったような気分で、自分の故郷に帰ったようで不思議な感じであった。
いつもすんなり受け入れていただき、感謝である。
ご主人からは、今後の事についても色々お話を頂いた。
これもとても有り難く、嬉しく感謝である。
ここしばらくいろいろな用事が続き、中々思うように動けなかったが、やっと今日また村を訪れる事が出来る。
今回は車ではなく、新幹線で行く。
接続時間がかなりタイトで、乗り換え駅でのんびり買い物ができないほどである。
モタモタしていられない。
昨年は、春、夏そして秋にこの村を訪れた。
今回は厳しい冬に行くので、上っ面だけではあるが一応春夏秋冬の村の様子を知ることになる。
春夏秋とはまた違う村の顔を見られる事を期待している。
今回は、村長さんにもお会いして、作家吉村昭の件で進捗状況をお聞きしたいと思っている。
私の願望が少しでも実現に向かって進んでいることが分かれば、こんな嬉しい事はない。
今朝ホームで電車を待っていたら、目の前の若い男性の足元に、Suicaが入ったパスケースが落ちていた。
本人はスマホをいじっていて、全く気付いていない様子だった。
すぐに声をかけて、本人は拾い上げたがストラップのようなものでベルトに付けていた。
1ヶ月ほど前にも、若い女性のパスケースが、改札口を通ってすぐにバッグの取手から外れ落ちたが本人が気付かず、教えてあげた事があった。
大事なものを、外側にぶら下げて歩くというのは私としては心配でしょうがない。
若い男性が、よく沢山のキーをブラブラ、ジャラジャラさせているが、落ちないか気になってしょうがない。
最近革で作ったパスケースを、何人かの人に差し上げたが、どうか落とさないようにして欲しい。
今日は、2回目の写真撮影のボランティアである。
大雄山の近くでの自然観察会の様子を撮影する。
最初のボランティアは、カワセミについての講演会で室内ということもあり、ちょっと心配であったがなんとか評価していただき
ホームページ にも掲載されホッとしている。
今日の撮影は2時間も早起きしなければならないが、前回の撮影結果をおだてられ、引き受けた。
人を動かすには、やはりおだてるのがかなり効果があるようだ。
丹沢方面に行くとなると、やはりテンションが上がる。
今日は、8km位歩くようで久しぶりの歩きだが何とかなるだろう。
明けましておめでとうございます。
昨年は、私にとって、かつて無いほどの言葉を絶する様な経験、感動的な出来事、心に沁みる出来事や、色々な方々との素晴らしい出会いがあった。
この歳になって、心が沸き立つ様な思いをするとは予想もしていなかった。
また目標に向かって、これほど積極的に行動した事も今までの人生の中では無かった様な気がする。
自分の想いは、それに向かって動くことによって実現していく事も実感しつつある。
今年は、何らかの形で、何とか自分の想いを少しでも実現出来たらと思っている。
今年もどうぞよろしくお願い致します。
自分の部屋にちょっと大きめのミシンを置きたくて、ここ1ヶ月程の間に、自分の部屋の断捨離を行った。
まだ、山の関係の荷物も見直さなければならないが、ついでに家中のものを見直し、かなりスッキリした。
あれだけ収納スペースが無かったのに、随分と余裕が出来た。
今まで捨てられなかった山ほどのものは一体何だったのか?
時間が経ったから捨てても良いようになったものや思い切って捨ててしまったものも沢山あった。
暇な時間が出来たら読もうと思ったものや、使おうと思っていたものもあったが、いつまでも暇な時が来そうになかったので、断行した。
また自分の思い出のものもあったが、それも自分には思い出があっても、家族にとっては何の意味もないもので、残されても困るであろう。
自分が居なくなったら、どうせ捨てられるだけのものだろうし、言わば生前整理のようなものだ。
最近は、毎日自分の部屋に入るのが楽しみになったが、出かける事も多く、世の中上手く行かないものである。
先日、ねむの木学園を訪れる事が出来た。
昨年東京で開かれた絵画展で、感動的な絵画を目にして以来、どの様な環境の中で生活し絵画を制作しているのかを見たいと思っていた。
静岡らしい温暖な山里の奥にねむの木村があった。
訪れた日は、あいにく寒風が吹いていたが、普段はのんびり散歩が出来そうな静かな場所であった。
昨年の絵画展では、同じ名前という事で声を掛けた男性がいたが、その方にも再会した。
村には茶室があり、たまたまその方がお茶を点てる日であったので、くぐり戸から茶室に入り、そこで一対一で、和菓子とお茶を頂きながら、ゆっくりとお話しする事が出来た。
昨年話しかけた事も思い出してくれた。
本格的な茶室で、お茶を頂いたのも初めてであったが、そこで2人だけでお話しが出来た事も貴重な経験であった。
今までに無いゆったりとした空間と穏やかな時間であった。
先日、ご令室とお会いした際に、私の想いをしたためた手紙をご令室に渡していた。
数日後には、ご令室から返信の葉書が届いた。
その葉書には、私の手紙をそのまま、村長さんに送られたということであった。
私の想いとは、ある作家についてより知らしめるために、ある村に設置されている文学碑のそばに、さらにその作家を紹介するような表示板を立ててはどうかという提案である。
さらに数日後には、村長さんからお電話があり、私の提案に対して早速会議を開き検討するように指示したとのご連絡であった。
表示板に書かれる文面については、その作家のご家族の方と相談されるとのことで、すでに動き出したようであった。
もし私に何か出来ることがあれば協力したいと申し出た。
皆さんの素早い動きと、私の提案への積極的な反応に、大変恐縮するとともに、実現へ向けて第一歩が踏み出されたことに対して、非常に感動している。
今日、ある式典で、私がこよなく愛する作家の
御令室に会う事が出来た。
今年で89歳になられると思うが、夫の文学館が
出来たこと、そしてその文学館の素晴らしさに、
目を潤ませながら挨拶の言葉を述べていた。
亡くなった夫もきっとこの辺りに来ている、
イヤ必ずいると仰っていた。
ご主人が亡くなって10年以上になるが、
文学界のおしどり夫婦と言われていた事を
納得させるようなお話であった。