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コラム

021101


最近読んだ、ある本の紹介の中に、次のような文章があった。
「ときにユーモアを交え、あるいはシニカルに、大上段に構えるのではなく、読者の心の底に、そのメッセージをストンと落とし込む。それこそがコラムニストの腕のみせどころなのかもしれない。」

私のこの「雑感」は、新聞、雑誌などのコラムを念頭に書いてきた。その割には、しばらく書かなかったりで、いい加減ではあるが。
そんな私の雑感であるが、上に紹介した文章の中の「大上段に構えるのではなく」の言葉が、私の胸にグサリと来た。

「雑感」を書いていると、読んでいただく方に何らかのメッセージを伝えたい、私の思いを分かってもらいたい、私の不満に対して同意して欲しいなどと思い、つい偉そうなことを書いてしまい、私のホームページをいつも見ていただいている方から、お叱りのメールを頂戴したこともあった。

自分の考えを伝えようと思うと、つい自分だけが正しいと思い込み、激しい口調になり、大上段に構えてしまう。読んでいただく方にただ不快感を与えるだけであることを、つい忘れてしまう。

「ときにユーモアを交え、あるいはシニカルに、読者の心の底に、そのメッセージをストンと落とし込む。」ことを、心がけてこれからも雑感を書いて行きたいと思う。

テレックス

020923

 

最近の新聞に、テレックスのサービスを終了するとの記事が出ていたのを見て、非常に感慨深かった。

テレックスと言っても、いまやどんなものか知らない方も多いかも知れない。タイプライターに鑽孔機がついていて、その鑽孔機で紙テープに文字を表す穴を明けて、その紙テープをそのタイプライターに読み込ませ、海外などに文章を送信する通信システムである。もちろん、文字しか送れない。十数年以上前は、海外との通信はほとんどこのテレックスに頼っていた。電話はあったが、記録に残る手段としては、テレックスだけだった。ファックスがそろそろ出始めていた頃である。

私が十数年前に、中近東のある国に長期の出張を繰り返していた時も、このテレックスは業務連絡用に頻繁に利用していた。
その国は、ちょっと特殊な国だったので、色々と状況を日本に報告するにも、事細かに伝えないと日本側になかなか理解してもらえないという事情があった。そのため、いわゆるフンドシのテレックスになる。短くてもロール紙で長さ1m位、長くて2、3mの長さになる。これを毎晩日本に深夜送信していた。
紙テープを作る際に、原稿が長いと自分で原稿を見ながらタイプを打つのは時間がかかるので、他の人に読んでもらい、それを聞きながらタイプを打っていた。入力ミスがあると、間違ったところまで紙テープを1文字づつ数えながら戻し、またその部分からすべて打ち直さなければならない。

また、日本に帰国している時も、現地に長いテレックスを送らなければならなかった。通常テレックス室への原稿渡しは夕方までだった。しかし毎日のように、遅い時間に大量の原稿をテレックス室に持っていくので、そのうちテレックスオペレータのおばさんと顔なじみになり、テレックス室の鍵の場所もこっそり教えてもらい、深夜に自分でテレックス室から勝手にテレックスを打ったりもしていた。

今思うに、この頃が一番ブラインドタッチが早かったと思う。かなりの早さで、人の喋るのを聞きながらタイプが出来た。その後はどんどん衰えて行って、今は入力間違いがとても多い。

そんな訳で、テレックスのサービスが廃止されることに、人一倍感慨深いものを感じてしまった。

バスの中でのちょっといい話

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山行の帰りのバスの中での話である。

バス停で、遅れて来たバスに乗りこんだら、いつもはたいてい座れるはずのバスが、子供の団体とその付き添いの大人達で、すでに満席だった。
私と、私と一緒に乗った夫婦も立つことになった。

私が乗ったバス停の次のバス停には中高年の登山客のグループ20名が、バスを待っていた。すると、そのバスの運転手が、待っていたお客に満席なので次のバスにしてもらえませんかと、バスの外で時刻表を見ながら頼んでいた。しかし、次のバスと言っても1時間後である。その中高年のグループは、「バスの中で騒がないから乗せてよ!」と言っていた。安全上あまり沢山の人を立たせた状態で乗せないのかと思ったが、都市部では立っているのは当たり前だし、1時間も次のバスを待てなんてひどすぎると思って聞いていた。結局そのグループはバスに乗ってきた。

しばらくして、バスの運転手は、今後団体でバスを利用する場合は、直前にバス会社に電話すればバスを増発してもらえるので、それを利用されると便利です、とアナウンスしていた。それにしても、そんな事が出来るなんて知らなかったし、そのために中高年の登山客のグループをバスに乗せようとしなかったとしたらひどすぎると思った。若い運転手だった。

その日は午後から雨になっていたので、道路は混んでいた。私鉄の駅に着く30分位前に、バスの運転手が、ロマンスカーに乗る予定のグループの方に申し上げますと言って、道路が混んでいるため間に合わないかもしれませんと、アナウンスしていた。
私は、乗る予定の電車に間に合うか間に合わないかのそんなぎりぎりのバスに乗る方が悪いと、人ごとと思って聞いていた。

その時は、ロマンスカーに乗るのは、子供の団体なのか、中高年の登山のグループのどちらなのかは分からなかった。

しばらくすると、運転手はロマンスカーの時刻に間に合う保証はありませんが、バスのスピードを上げるので、立っている人はしっかりつり革に捕まってくださいとアナウンスしていた。

私はその運転手のすぐ後ろに立っていたので、その運転手が、間に合わせようとして本当に一生懸命なのが良くわかった。しかし、余り急ぎすぎて、途中で降りる合図をした客が1人いたのに気がつかず、ひとつ先のバス停まで行ってしまった。そのお客には文句を言われ、平謝りだった。運転手は小さな声で、しまった、気がつかなかったと言っていた。
でも、その頃私は、運転手が盛んに腕時計を見ながら運転しているのを見て、私までもが時間は大丈夫かなと腕時計が気になりだした。そのグループのためと言うよりも、この運転手のためにも間に合って欲しいと思いはじめていた。

運転手の努力の甲斐あって、駅前には定刻の2分前に到着した。運転手は、他の客に、ロマンスカーに乗るグループを先に降ろしてあげてくださいと頼んでいた。そのグループは子供達だった。子供達は、付き添いの大人にせかされて、バスを降りると一目散に駅に向かって走っていった。

結局私が駅のホームに着いたときにロマンスカーが入って来て、その子供達も間に合ったようだった。

あとで思うに、中高年の団体に次のバスにしてと言ったのは、きっと乗降時間を節約して、少しでも早くバスを駅に向けて発車させたかったからなのだろうと思った。

こんなに乗客のために一生懸命になる運転手さんがいる事を知り、とても気分が爽快になった。1時間以上もバスの中で立っていたにもかかわらず、疲れを感じなかった。

 

020918

 

先日、朝の電車の中で私の前に座っていた女子高生が単行本を読んでいた。それは図書館から借りた本のようであった。その女子高生の降りる駅が近づくと、今まで読んでいたその本を閉じ、おもむろに通学カバンの中からビニール袋を取り出し、その袋の中に丁寧にその本を入れ、かばんに仕舞っていた。

私は、今時なんて本を大切にする女子高生だろうと感心してしまった。私自身は、つい最近大雨が降った際に、カバンの外側に入れておいた文庫本を雨でぐっしょりと濡らしてしまったばかりだったので、「そうか、このように本をビニールに入れてから、カバンに入れるという方法があったのだ。」と気がついた。
幸か不幸か、私の文庫本は、図書館から借りた本ではなく、自分の本であった。

ビニール袋に本を入れることによって、雨対策は勿論のこと、カバンの中で本の表紙が折れたりすることもなく、最後まできれいなままで本を読み終えることが出来る。公共の本であれば、なおさら大切な心がけだと思う。

図書館で本を借りると、時々あちこちにボールペンや蛍光ペンで書きこみがされている本や、ひどいのになると、切りぬき、更にはページ丸ごと抜かれている本にお目にかかることがある。 とても残念で悲しいことである。

公共の広場

020828

 

最近、家の近くにあった広場を囲っているネットが取り外された。

ここは、30年間の長い間子供広場として、地域の子供達の数少ないふれあいの場であり、野球などのスポーツに毎週利用されていた。日曜日には、親子連れで楽しんでいる光景も見られた。

また、ここは災害時の一時避難所にも指定されている場所だった。

その後、配られた自治会の広報を見ると、地主だった方の都合により、地主に返還されたと書いてあった。

私も、自分の子供が小さかった頃には、ここで子供の自転車の練習をさせたり、キャッチボールをしたりしていた。また冬に雪が積もったときには、小さな山に雪を集めて滑り台を作り、近所の子供達と皆んなで楽しんだりしたこともあった。

地主のどんな事情があったかは知らないが、このような貴重な空間が無くなることは大変残念でならない。

最近の子供達は、昔と違って近所の子供達と群れをなして外で遊ぶことがめっきり少なくなってしまった。 この広場が無くなることで、ますます外で遊ぶことがなくなってしまう。昔は、子供同士、集団行動をする中で、上下関係や、自然との関わり方など色々なことを学び取っていた。

また、ここは災害時の一時避難所にもなっていたので、代わりに遠くの場所が一時避難所に指定された。しかし、その場所は狭い場所で、あんなところに大勢の人が集まったら大変な惨事を招きかねない。人命の最優先の観点からも、もっと賢明な選択をして欲しかった。

帰省

020812

 

今年の夏休みは、4年ぶりの帰省となった。
連日の暑い日々を逃れ、朝千歳空港に降り立ったときは、何と気温は15.4度という信じられないような低さだった。だまっていると風邪をひきそうなほどである。

今回の帰省は急に決めた。両親が息子の私を認識できなくなる前に会っておこうと思ったからである。父は90歳を越え、母も85歳を越えている。体は特にこれと言って悪いところはないが、母は物忘れが多いとの事だった。
でも、実際に会ってみると、何のことはない私たち若い(?)人とそれほど違わないボケ具合であった。逆に、自分が親の年齢になったらこれほどしっかりしていられるだろうかと思うほどである。
ただ、母は風で飛ばされるほど体重も軽くなったと言っていた。背負っては見なかったが、その軽いことに驚き3歩も歩けない状態だろう。

親に元気な顔を見せることが一番の親孝行といわれるが、今回の帰省は本当にそうだったような気がする。特に会話がなくても、そばに座っているだけで、両親は平和な顔をしていた。2人の伯母にも会ってきたが、どちらの伯母も、心から再会を喜んでくれているようだった。
別れるときは、今まではそんなことは無かったのに、皆握手を求めて来た。

いつまでも、お元気でと祈らずにはいられない。

ピアノコンサート

020713

 

今日、ウラジミル・ミシュクのピアノコンサートを聴きに行って来た。

以前にフジ子・ヘミングの事を書いたが、その時に、是非とも生でフジ子・ヘミングを聴きたいと思い、チケットを探したが、どこも発売から1時間以内に売り切れとの事だったので、当分フジ子・ヘミングを聴くのは無理だろうと思い、その代わりといっては大変失礼だが、たまたまフジ子・ヘミングのCDに入っている曲が4曲含まれていたウラジミル・ミシュクのコンサートのチケットが売られていたので、それを買ってあった。

フジ子・ヘミングの時もそうだったが、ウラジミル・ミシュクも私は知らなかった。今日、コンサート会場でもらったパンフレットの説明を見て、この人も今は大変な人気のピアニストであることを知った。昨年、一気に人気が爆発したと書いてある。ロシア人で、まだ、30歳代で背も高くハンサムでいかにも女性に人気がありそうである。
私が座った席は、2階席であったが丁度まっすぐ目の前でミシュクのピアノを弾いている手が良く見えた。ピアノのテクニックも素人ながらに凄いと思った。

ただ、私は音楽は全くの素人で演奏についての評論なんてとても出来るはずもないが、それでも同じ曲を違う人が弾いたときの違いは多少わかったような気がする。
私はヘミングのピアノ演奏をMDで何度も聴いていたせいか、ヘミングのピアノの方が私の心に響くようだった。波長が合うという感じである。これは、流行歌の場合でも、その歌をヒットさせた本人が歌った場合と、他の人がカバーで歌った場合では、まるで印象が違ってくるのと同じで、大抵の場合、ヒットさせた本人が歌った場合のほうが、やはりその曲の感じが良く表現されているように思う事が多い。
演奏者が違えば、聴いた時の感じ方が違ってくるのは当然と言えば当然だろう。

ヘミングは、もちろん演奏技術は持っているが、人間は機械じゃないのだからその日によって演奏が少しくらい変わっても、あるいは間違っても構わないという考え方だと言う。音符通りに弾くのであれば、今の時代、機械がその位のことはやってのけるであろう。
ヘミングの場合は、音と音の間、本で言うところの行間が、他のピアニストと違うと言われているので、先入観かもしれないが、音間がとても良く聞こえる。ヘミングのピアノの音の波形を見ると、他の人とは違い、音と音の間が完全に切れておらず、つながっているとテレビでも紹介されていた。

とは言え、やはりミシュクの生のピアノ演奏も素晴らしかった。私が知っている曲も多かったので、久しぶりに楽しいひとときを過ごすことが出来た。

冒険心

020707

 

昨日近くの手軽な山に登ってきた。

山から下りて来て国道に出、バスの時刻表を見ると、何と一日に3便しかなく、2時間くらい待たないとバスは来ない。相模湖駅まで一時間近く国道を歩かなければならなかった。
しかし、国道沿いに歩くコースとは別の東海自然歩道のコースがあったので、初めてであったがアスファルトの道を歩くよりもと思い、そちらを選択し歩き始めた。

歩き始めて20分位過ぎたころ、私と同年配とおぼしき男性が、私を追い抜きどんどん先を歩いて行った。
しばらくすると、下のほうに相模川と弁天橋が見える所に出た。
するとその男性は休憩しながら、この先どうするか考えている風であった。

私はこのコースは初めてだったので、私はその男性に「この道をずっと行けば、相模湖駅に出るんですよね?」と声をかけた。
すると、その男性も初めてでよくわからないと答えた。そこで、私はザックから地図を取り出し、現在地とこれからの駅までの道のりを確認し、その男性にも地図を示した。

ところが、その男性は、知らないコースなのでやっぱり国道まで戻ると言い出した。私は、バスは一日に3便しか無く当分来ないし、ここまで来てしまったら、国道まで戻って道沿いに駅まで歩くとなるとかなり時間が余計にかかりますよと説明したが、それでも引き返していった。

私はその男性の行動について、理解に苦しんだ。 いくら初めてのコースであっても東海自然歩道のコースであり、時間的にもはるかに早いし、地図でも確認したのである。

私なら、まったく危険の無い平坦な道と、全く未知のほんのちょっとの冒険心が要求される2つの道があれば、迷わず後者を選ぶと思うし、そうありたいと思った。

その男性には、過去に苦い思い出か、何か事情があったのかも知れない。

後で思うに、このあたりでバスが一日に3便なんて有り得ないと思ったのかも知れないし、また私が地図で説明したことが信用されなかったのかも知れない。もしそうであったとすれば、ちょっと残念である。

祝日本W杯決勝トーナメント進出!!

020615

 

昨日、とうとう日本のサッカーチームは悲願のW杯の決勝トーナメント進出を決めた。日本中が興奮の渦の中にいる。
日本中の人々に希望と感動を与えてくれた日本チームに、心から有難うと言いたい。

他のスポーツの観戦では、席から立ち上がったり大きな声で応援したりすることは無いが、何故かサッカーの国際試合の時だけはいつも興奮して応援してしまう。おかげで、声を張り上げて喉も痛くなる。
日本中のほとんどの人がサポータ状態になっていたことだろう。
サッカーの国際試合では、いつもドーハの悲劇を思い出すので、後半のロスタイムは、特にハラハラドキドキする。でも、このハラハラドキドキ感がたまらなくいい。

これだけ多くの日本人が熱く燃え、見知らぬ人同士が手と手を取り合ったり、抱き合ったりして、長時間にわたって喜ぶなんてことは、未だかつてスポーツ以外においても無かったと思う。
昨日は、勤務中のため残念ながら試合を見ることは出来なかったが、帰宅の電車の中に「パブリックビューイング」からの帰りらしいジャパンブルーのユニホームを着た女性達がいて、試合の模様を話をしていた。私も喜びを共有したくて声をかけたい衝動にかられた。自分でも、不思議な気がした。

元来、日本人は喜びや悲しみをあまり顔や態度に表すことはしなかったし、それが美徳のようにさえ言われて来た。しかし、今やサッカーの魅力が日本人の既成概念を大きく変えてしまったようだ。昔からサッカーが盛んな国々の人たちと同じ価値観を、やっと共有できるようになったのかも知れない。その結果、中津江村のように色々な国とサッカーを通じて仲良くなれれば良いと思う。(サッカーが原因で戦争になる場合もあるけれど。)

白黒の世界

020523

 

白黒の世界

先日、東京で雪舟展をやっていたので、見に行った。
天皇陛下も見に行かれ、新聞では大々的に宣伝していたが、水墨画にはそれほど興味も無く、行く予定にしていなかった。しかし、素晴らしい作品ばかりで、もう一生見ることの出来ないものだと言われ、前夜に急に決めて出かけた。

開館時間前にもかかわらず、上野駅から美術館の方に向かって、沢山の人がぞろぞろと連なっていて、入場券を買うために長蛇の列が出来ていた。結局、入場券を買うのに30分近く並んでしまった。

水墨画というのは、白黒だけのモノトーンの世界で、油彩や水彩の絵と違い、それほどじっくりと感動しながら見るようなものではないだろうと思っていた。
しかし、見学者の熱気もさることながら、やはり世界の雪舟と言われるだけあって、筆使い、微妙な墨の濃淡による遠近感、透明感など、初めて水墨画の奥深さを知った。
有名な、「天橋立」や「山水長巻」などの本物を目の当たりにするのは、やはり胸が高鳴るものである。

水墨画の中には、中国の水墨画の影響を受けているためか、朱や緑がわずかに使われている水墨画も中にはあったが、基本的には、白黒の世界である。しかし、水墨画を見ているうちに、白黒であるという意識は全く無くなってしまう。
自分がその水墨画の世界に入り込んでしまい、色の区別もつかなくなってしまうのだろうか。

これは、夢を見たときに、後で思い返しても白黒の夢だったのか、カラーの夢だったのか思い出せないのと同じではないだろうか。また、昔見た白黒だったはずの映画が、今思い起こしても白黒の映画だったのか、カラーの映画だったのかはっきりと覚えていないのにも似ているのではないだろうか。

久しぶりに文化的な時間を過ごしたが、ただ、余りの人の多さに、見学者の列がなかなか前に進まず、係員に、立ち止まらずに前に進んで下さい、と何度も言われたのはいささか興ざめではあった。

子供

020509


私の顔は、子供にとって警戒を与えない顔をしているのだろうか?
特に、幼児とは相性がいいようだ。

電車の中で、幼児と目が合ったりすると、その幼児の方から先にニコニコしてくる事が多い。私は子供が好きなので、こちらもニコッと笑うと、それからは私か、その幼児が電車から降りるまでお互いにニコッが続くことになる。おかげで、唯一の読書の時間も中断となる。

先日の山行の途中で、夕食の為に入ったファミレスで、私の前のボックス席で若夫婦と2,3才位の男の子が食事中だった。私はひげも剃らない汚い顔をしていたが、私の目とその男の子の目が合うと、その男の子はニコッと笑いかけてきた。私も、ニコッと笑うと、その男の子は、狭い隙間からこちらのボックス席に無理矢理入って来ようとした。
その男の子のお母さんは、私の方を変な目でジロッと見ていたが、私は別に気にもせず、その男の子を見ていた。お母さんが、子供を引き戻しご飯を食べさせていたが、その子は私の方が気になって何度も私の席の方に来ようとする。その度に、お母さんが私の方を気にして、子供を引き戻すので、私も悪い気がして来て、あまり子供を見ないようにしていたら、そのうち子供も諦めてしまった。

私は、自分の子供が小さい頃は、子供が連れてきた近所の子供達とも遊んだり、一緒にどこかに連れて行ったりもした。あまりにも、他の子供の事を可愛がるので、自分の子供が嫉妬して、「お父さんは、何で他の子供ばかりを可愛がるの!!」とクレームされた事もあった。子供と遊んでいると楽しかったし、特に、小さな子供は無邪気で、素直で可愛いと思う。

家内からは、お父さんは孫が出来たら可愛がって大変だね、と言われているが、私は孫だから可愛いと言うよりも、子供だから可愛いという気持ちではないだろうかと、今から思っている。

完全踏破

020409


先日の山行は、暖かく気持ちも良かったので、一緒になった男性としばし山頂での山談義を楽しんだ。

その男性は、年間60日間位も山に行っているという人であった。私は、丹沢しか歩いていないと言ったら、なぜかと不思議がっていた。

日本にはたくさん良い山があるのに、なぜ丹沢しか行かないのか理解できないのかも知れない。
私が、丹沢にこだわる理由は、一つには単に自宅から割合に近く、日帰りで気軽に行け、なおかつルートがたくさんあるからということ。 それと、せっかく山を始めるのなら何か目標を持って歩きたいと考え、丹沢完全踏破を思いついた。人によっては、日本百名山の登頂などと考えるかもしれないが、とてもそんな時間と金の余裕はないし、誰でもが目指す目標に思えた。また、日本全国あちこち歩いているという人にも、たくさんお目にかかる。

しかし、丹沢完全踏破を目指しているという人には、まだ出会ったことはなかった。(そのような人は私が出会わないだけで、たくさんいるのだとは思うが。) 丹沢のルートはほとんど歩いたと言う人には時々会うが、聞けばそれは主要なルートの事だけを言っていることが多く、完全踏破とはほど遠い事がほとんどだった。

そこで、私は他の人があまり考えない事を、つまり丹沢のルートならどこでも知っていると言えるならば、喜びも大きいと思い、S社の山の地図にある全ての山行ルートの完全踏破を目標に定めた。

目標に向かって歩き始めてから6年ほど経っているが、8割から9割くらいは歩き終えたと思う。完全踏破は、多分来年になるだろう。

(無理をせず、気を付けて歩きます。自分一人の命ではないので。)