救急処置 (01/10/14)



しばらく雑感を書いていなかったが、先日ある読者の方から「最近雑感を書いていないね、楽しみにしているのだけど」と言われた。
書きたい事は色々とあったのだが、忙しさにかまけ、1ヶ月以上も怠ってしまっていた。
そこで、先日(とは言っても一ヶ月近く前になるが)の朝の出来事を書いてみた。

朝、いつもの通り電車で会社へ向かい、駅に着き満員電車を降りようとして足下をみると、マネキン人形の足が2本倒れていた。誰かの荷物かと思った。しかし、それはマネキンなどではなく、本当の女性の足だった。どうやら、満員電車の中で具合が悪くなって倒れ込んだものらしい。そばには、他の男性の乗客がその女性の腕をささえるようにしていた。しかし、その女性の倒れ方が、ぐったりとした感じで倒れ込んでいるのではなく、体全体を突っ張らせるようにして倒れていた。それで私はマネキンの足のように見えたのだった。

私は、会社のある駅に着いたので、車両を降りなければと、いつもの条件反射でいったんはホームに出た。
しかし、そばについていた男性はただ腕をとっているだけで、特に何も処置をしようとしているようには見えなかった。その女性はというと、目を大きく見開いて全く動かないようだった。また、呼吸もしていないように見えた。

人が倒れたときは、最初の数分間の処置が生死を分けるので、この女性の場合も、もし心肺が停止していたら直ぐに人工呼吸が必要になると思った。そばにいる男性が、心肺の状況を見たりしているのかどうか、もし停止しているのなら人工呼吸をしようとしているのかが気になった。
もし周囲の人たちが誰も人工呼吸の処置を出来ないのであれば、私がやってみようと思った。

私は、二年ほど前に、山の関係で知った横浜市消防局主催の救急処置の講習会に出席し、一応ひと通り心肺の蘇生法を習った。しかし、その後幸いにも一度もやったことがないので、忘れかけていた。
それでも、誰も出来なければ自分がやってみようと思い、また満員の車両の中に戻った。
すると、その女性は急にいびきをかき始めた。いびきをかき始めたことで、少なくと心肺は機能していることが分かり、またいびきをかいている場合は脳の障害であり、動かしてはいけないことになっているので、私は人工呼吸をやらずに済んだと内心ほっとし、自分の出番はないと思い、再び車両を降りホームに出た。

救急車を呼んでいたが、何分くらいで着くのかが気がかりであった。少なくとも駅の改札を出てしばらくしても、まだ救急車のサイレンの音は聞こえてこなかった。どうなっただろうか。

救急法を習ったときに思ったことであるが、心肺蘇生法を覚えたとしても、自分が山の中で具合が悪くなり倒れた時には、自分で自分の体の心肺蘇生を出来るわけではない。自分が覚えるのではなく、周囲の人に覚えてもらう必要があると思った次第である。
だが、情けは人の為ならずである。

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