はやり目と老化 (01/07/08)



ちょっと前の話になるが、いわゆるはやり目に罹ってしまった。正式の病名はウイルス性角結膜炎というらしい。
感染元は娘からであった。娘はどこから感染したのか全く不明である。

病院でもらったパンフレットを見ると、まさに潜伏期間や発病期間が全くパンフレットに書いてある通りであった。
子供の頃に、結膜炎はプールなどでうつるなどとよく言われていたが、それほど大変な病気という意識はなかった。
しかし、実際に罹ってみるとそれは大変な病気だった。潜伏期間は1週間で、発病期間は2週間であった。

最初に娘が罹り、その一週間後の全く同じ日に私と息子が発病してしまった。息子とは3回ほど一緒に病院通いをする羽目になった。
娘は発病して1週間後くらいの時には、両目が開けられなくなり2,3日ずっと寝込んでいた。その様子を見ていたので予測がついてはいたが、息子の方が同様に目が開けられなくなった。
私の方は、幸いにもそこまでにはならなかったが、涙が四六時中出てきたり、目から血が出たり、光が眩しくパソコンの画面を見るのにもサングラスをかけなければならないほどであった。その時の目はとても人様には見せられない、まさにグチャグチャな目であった。
この病気は感染力が非常に強力なため、息子は学校から出席停止を言い渡された。 私は会社からは特に出社禁止とまでは言われなかったが、とにかくひどい状態だったので、大きな会議の準備があったにもかかわらず休まざるを得なかった。

発病中の後半には、炎症のために物がかすれて見え、新聞なども読むことが困難になった。病院の先生には、大人になってからこの病気にかかると、稀に目に後遺症が残ることがあると脅かされた。3週間目になって、やっと炎症も治まり親子そろって会社、学校へ行けるようになった。

しかし、3ヶ月ほど経った今でも涙が突然出てくるという後遺症が残っている。なぜか、朝自転車で駅に行く途中に急に涙が出てきて、ハンカチを取り出す間もなく、涙が膝の上に落ちたり、会社から帰り、家の玄関に入る直前に涙が急に出て来たりする。

また、これも後遺症だろうと思うが、仕事中にどうしようもなく目がしょぼしょぼして来て、目薬を注すようになってしまった。今までは目薬のお世話になったことはほとんど無かったのだが。それから、老眼の眼鏡を掛けなければよく見えない頻度も多くなった。

最近思うのだが、年を取ってきてから病気になると、若いときとは違って完全に治りきらずに、どこかに後遺症が残り、また他の病気をするとまた別の後遺症が残り、というような事を繰り返し、人はどんどん老化を早めて行くのではないだろうかと考えるようになってきた。 

だから、当たり前のことながら、年を取ってくると益々病気にならない努力が若い人よりも必要になってくるのではないかと思う。治る病気だからと軽く見ていると、色々な意味での後遺症が蓄積されて行くことになる。その良い例が、病気や怪我などで、しばらく病院のベッドで寝ていると、病気がたとえ治ったとしても、歩くことが覚束なくなったりすることである。

やはり、積極的な健康維持管理が益々大切になってくる。
山歩きを止めてはいけないと、ただ一人思う今日この頃である。

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