謙虚

011116

 

先日、私のホームページへの掲示板に書き込みが出来ないと読者の方から連絡があった。
早速調べてみたが、原因が分からなかった。プロバイダーのホームページを見てチェック項目を確認したが、原因が見いだせなかった。

そこで、プロバイダーのホームページからサービスセンターに問い合わせを出そうとしたが、ホームページには連絡先が記載されていなかった。サービスセンターと言う文字は色が変わっていたので、リンクが張られていると思ったが、これもダメでただ文字の色が変わっているだけだった。入会時に送付されてきた書類を見ても、なぜかサービスセンターの連絡先が見あたらない。

いい加減に頭に来て、直接関係のなさそうな部署だったにもかかわらず、メール番号がとにかく記載されていたので、その部署宛に、頭に来た勢いで文句を書き、至急サービスセンターの連絡先を教えてくれとメールを送った。どうせしばらくは何も連絡がないのだろうと思っていた。

ところが、翌日すぐに、非常に丁重なメールが来た。丁重かつ丁寧な内容であった。しかし、その内容に従いホームページをチェックしてみたが、依然として不具合は直らなかった。仕方なくまたメールを出して、問い合わせをした。そうすると、また翌日には回答があった。それもやはり、丁重な文面であった。もし、これでも解決しない場合は電話を下さいとあった。

段々と、自分が最初に抗議のメールを出したことが、恥ずかしくなって来た。早速私も丁重に、お礼を書き、もしまだ直らなければ電話をさせて頂きますと返事を書いた。

結局メールだけでは不具合は解決せず、電話をかけることになった。サービスセンターに電話がつながるのに、多少時間はかかったが、若そうな男性の方が対応してくれた。この男性の応対がまた非常に丁重で、ユーザIDなどを聞かれたが、色々なIDがあるがどれかと聞いても、あきれた様子もなく丁寧に教えて頂いた。
いったん電話を切って、10分か15分後位に先方から電話があり、結局その電話で解決する事が出来た。原因は、私がhtmlのソースの一部を知らずに削除してしまっていたらしい。

解決したことを、メールで連絡すると共に、丁重にお礼を述べたことは言うまでもない。その後、先方からも、念のためにということで、電話で教えてくれた内容をメールでわざわざ送って来てくれた。そして、確かに復旧していますねとも、書かれていた。

人間というものは、優しさ、誠実さに触れると、自分が謙虚になるものである事を、今更ながら感じた次第である。

新たな発見-車椅子

011104

 

今日、ある人のお見舞いに行った。
ベッドのそばに車椅子が置いてあった。車椅子に乗っている人の介護をしたことはあったが、自分自身が車椅子に乗って動かしてみたことはなかった。

そこでいつもの好奇心が頭をもたげ、病室内で乗って動かしてみることにした。
乗ってみて初めて分かったが、車椅子の操作は両腕さえ自由に動かすことが出来るなら、誰でも簡単に出来ることが分かった。動かしていた時間は、せいぜい2,3分だったが、その程度の時間でも周りの壁やベッドにぶつかることなく狭い病室内をかなり自由に動き回ることが出来た。左右の車輪を反対方向に回してやるだけで、いとも簡単にその場で速いスピードで方向転換することができ、さらに自動車でいうところの幅寄せも非常にスムーズにかつ早く出来ることに驚いた。

万が一、不幸にも自分が車椅子を使わなければならない身となっても、これなら動き回ることにはそれ程不自由を感じないのではないかと思った。
ただ、それには自分が行きたい場所までの間に大きな段差が無いことが大前提となる。段差が無ければ、人の手をほとんど借りずに自由に活動を広げることができるのではないだろうか。

これからの高齢化社会においては、段差のない家、社会造りが求められているが、初めてその意味、重要性が実感できた。あらゆる段差を取り払うことで、障害のある方々の世界が大きく広がる事が容易に理解できた。

物理的な段差だけでなく、あらゆる段差=差別を取り払うことによって、障害者も健常者と全く変わらない社会活動が可能となることを、健常者は認識すべきだろう。

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妻殺しの嫌疑

011028

 

物騒なタイトルであるが、どうも私は妻を山中で殺したと思われたようである。
以下はあくまでも私の勝手な推測も含んだ事実である。

ある日、私は下山して車を停めてある所までしばらく車道を歩いていたが、途中直売所の前に並べてあるリンゴがおいしそうだなあと眺めながら、その店の前を足早に通り過ぎようとしたら、そこの女主人が、「こんにちは。一人ですか?」と聞いてきた。
なんで、わざわざ一人かと聞くのか疑問に思いながらも、「そうですよ」と答え、そのまま車道を歩いて行ったが、その女主人がわざわざ店から走り出てきて、私を呼び止めるように、「一人ですか? 今朝、奥さんと一緒だった人ですよね?」と、また聞いてきた。
私は、また「いいえ、一人ですよ。」と答えた。

家に帰ってのんびり風呂に入っている最中に気がついた事だが、この時、私は完全にこの女主人に、疑われていたのである。
すなわち、山に登るときは、妻と一緒だったのに、下山の時は一人で、しかも店の前をそそくさと顔を見られないようにさっさと通り過ぎていったのは、きっと自分の妻を山中で殺害して山を下りて来たのに違いないと。

もう夕方の4時半を過ぎて暗くなり始めていたので、確かに私は車道を急いでいたし、一人かと聞かれて、素っ気なくそうだと答えたのも、疑われる一因だったに違いない。

その女主人は、「今朝、すぐそこに車を停めて、登って行った夫婦がまだ戻って来ない。」と言った。私は、山頂に着く手前ですれ違い言葉を交わした夫婦だと、直ぐに気が付いた。その夫婦は、このあたりに車を停めて来たので、またそこに戻るのだと言って、私よりも20分前に下山していた。

この女主人の話だと、この店の前の道路を挟んだ小学校の校庭に、その夫婦は車を停めていた。そこの駐車スペースは、高台にあるために車道からは見えず、通りすがりの者には駐車出来るなどとは全くわからないような場所である。だから、きっとこの夫婦は、駐車の際に多分この女主人と色々と言葉を交わしていたはずである。
だから、その夫婦のうちの主人が(つまり私が)一人で、店の前に来たにもかかわらず声も掛けず、さっさと先を急いでいるのを見て、不審に思ったに違いない。顔を見られるのを恐れていると思ったに違いない。

私は、「私も、落葉のせいで踏み跡が不明で道を間違えたが、その夫婦も迷っているかもしれない。時間的には、とっくに私よりも先に着いていなければいけないはずだ。」と答え、内心、自分が疑われているとはつゆ知らず、遭難したとすれば私が多分最後に言葉を交わした人物だということで、捜索に加わらなければならない、とお人好しにも考えていた。

その女主人は、その小学校の校庭に停めた車が有るかどうか確認すると言って、見に行ったところ、すでに車はなかった。結局、その夫婦は無事下山して、とっくに帰ったようである。私への疑いも晴れた。
私は、「まだ、これから30分位車道を歩かなければならない。」と言ったら、その女主人は、とてもにこやかな顔で「それはそれは大変ですね。ご苦労様。引き留めて済みませんでした。」と詫びるような愛想笑いをしていた。

家で、無事な妻に、私の推理を話したら、テレビの見過ぎだと言われた。

教えることは学ぶこと

011022


先日、私が所属しているパソコンを教えるボランティアの会の初仕事として、ある団体の方にWORDを2日間にわたり教えた。
しかし、私は教えたとは思っていない。学ぶ機会を与えてもらったと思っている。

教える相手が、パソコンはほとんど初めての方と聞いていたので、特にそのために今更WORDを勉強しなくても、大丈夫だろうと思っていたが、いざテキストに目を通すと、自分がいままで使っていたやり方とは違う方法が色々と書かれていたり、教え方のポイントがテキストで触れられていた。

勉強すればするほど、次から次へとどんどん新たな知識が増えていくのを感じたが、実際に教えながら、スムーズに説明できない所や適当にお茶を濁したところは、まだまだ十分理解、習得していないのを痛感した。
また、教え方にも流れがあり、自分のやり方でやってみようと試みたが、残念ながらうまく行かなかった。結局テキストの流れに戻って教えることとした。
今回のように、10名近くの受講生を前に教えることは初めてであったので、自分のやり方などは所詮まだ無理であった。

パートナーの方と交互に講師役を交代しながら研修を進めたが、パートナーの方が教えている間、それを聞いていて自分が知らなかった操作方法も知ることが出来た。

受講生の方々は、皆さん非常に熱心で、ほとんど一日中ぶっ通しの研修であったにもかかわらず、誰一人として居眠りをしたり、あくびをするような人もなく、教える側として非常に嬉しかった。

この度の初めてのパソコン研修は、受講生以上に自分が色々なことを学んだのではないかと思う。
教えることは学ぶことであるのを実感した次第である。

救急処置

011014


しばらく雑感を書いていなかったが、先日ある読者の方から「最近雑感を書いていないね、楽しみにしているのだけど」と言われた。
書きたい事は色々とあったのだが、忙しさにかまけ、1ヶ月以上も怠ってしまっていた。
そこで、先日(とは言っても一ヶ月近く前になるが)の朝の出来事を書いてみた。

朝、いつもの通り電車で会社へ向かい、駅に着き満員電車を降りようとして足下をみると、マネキン人形の足が2本倒れていた。誰かの荷物かと思った。しかし、それはマネキンなどではなく、本当の女性の足だった。どうやら、満員電車の中で具合が悪くなって倒れ込んだものらしい。そばには、他の男性の乗客がその女性の腕をささえるようにしていた。しかし、その女性の倒れ方が、ぐったりとした感じで倒れ込んでいるのではなく、体全体を突っ張らせるようにして倒れていた。それで私はマネキンの足のように見えたのだった。

私は、会社のある駅に着いたので、車両を降りなければと、いつもの条件反射でいったんはホームに出た。
しかし、そばについていた男性はただ腕をとっているだけで、特に何も処置をしようとしているようには見えなかった。その女性はというと、目を大きく見開いて全く動かないようだった。また、呼吸もしていないように見えた。

人が倒れたときは、最初の数分間の処置が生死を分けるので、この女性の場合も、もし心肺が停止していたら直ぐに人工呼吸が必要になると思った。そばにいる男性が、心肺の状況を見たりしているのかどうか、もし停止しているのなら人工呼吸をしようとしているのかが気になった。
もし周囲の人たちが誰も人工呼吸の処置を出来ないのであれば、私がやってみようと思った。

私は、二年ほど前に、山の関係で知った横浜市消防局主催の救急処置の講習会に出席し、一応ひと通り心肺の蘇生法を習った。しかし、その後幸いにも一度もやったことがないので、忘れかけていた。
それでも、誰も出来なければ自分がやってみようと思い、また満員の車両の中に戻った。
すると、その女性は急にいびきをかき始めた。いびきをかき始めたことで、少なくと心肺は機能していることが分かり、またいびきをかいている場合は脳の障害であり、動かしてはいけないことになっているので、私は人工呼吸をやらずに済んだと内心ほっとし、自分の出番はないと思い、再び車両を降りホームに出た。

救急車を呼んでいたが、何分くらいで着くのかが気がかりであった。少なくとも駅の改札を出てしばらくしても、まだ救急車のサイレンの音は聞こえてこなかった。どうなっただろうか。

救急法を習ったときに思ったことであるが、心肺蘇生法を覚えたとしても、自分が山の中で具合が悪くなり倒れた時には、自分で自分の体の心肺蘇生を出来るわけではない。自分が覚えるのではなく、周囲の人に覚えてもらう必要があると思った次第である。
だが、情けは人の為ならずである。

台風一過の夕焼け


昨日から今日にかけて大型の台風15号が関東を直撃した。
今日は、朝の出勤時と昼前の外出時の2回もびしょ濡れになってしまった。靴の中まで濡れてしまったが、外出先のため靴を脱いで乾かすことも出来ず、一日不快な思いをした。

しかし、昼過ぎからはやっと台風も過ぎ去り、徐々に天気が回復してきた。夕方、帰宅時に駅に降り立ったときはすっかり雨は上がっていた。でも、空の様子がいつもと全く違っていた。厚い雲がまだ西の空のあちこちに残っていたが、それらの雲の合間からの夕焼けが、いつも見る夕焼けとは全く違っていた。

西の方向だけでなく西の方向を中心にほぼ180度にわたって、空が非常に鮮やかな朱色に染まっていた。墨色をした雲の陰と朱色に染まった空の醸し出す最高の自然の美であった。今まで見たこともない夕焼けであった。

駅の改札を出る手前あたりから、その夕焼けが真正面に見えていた。思わず周りの人にも、声を掛け教えたくなるのを我慢した。なぜなら、声を掛けなくてもその光景は皆の目に飛び込んでくるから。改札を出た直ぐのところは全面が窓であったので、急いで窓に近寄り夕焼けを眺めていた。デジカメを持っていなかったことが、非常に悔やまれる。

しかし、何か変だった。周りの人を見ると、夕焼けを一瞥すらせずに、皆そそくさと駅を出ていってしまった。窓際で立ち止まったのは、私ともう一人の若い男性の二人だけであった。私は、なぜこんな素晴らしい夕焼けを見ないのかと、声を上げたくなった。

駅の階段を下りて、交差点で信号待ちをしている時も、まだその美しい夕焼けが見えていたが、西の空を見ている人は私以外には誰一人として居なかった。
私は、誰かにこの夕焼けを見せたくて、家に電話した。娘は見たと言っていた。

美しいものに接しても、感動しなくなった日本人に非常に寂しさを感じた。毎日の生活に忙しく、夕焼けを見ている余裕も無いのだろうか。そそくさと、家路につく家庭には何が待っているというのだろうか。こんな素晴らしい夕焼け以上のものがあるのだろうか。今日はこんな素晴らしい夕焼けを見た、と家族に話をする心のゆとりが欲しいものである。

しかし、今日見た夕焼けはあまりに美しすぎて、また幻想的で何か不吉な事が起きる前兆のようにも思われた。

止めて欲しいこと


女子高生の制服のミニスカートは、見ていて余りいいものではない。

階段を登るときに、下着がみえないように手で押さえている姿は、いかにも後から上がってくる人が覗き込むのを防ぐためと言わんばかりで、後から行くこちらとしては非常に不愉快である。

スカートはもともと短いのではなく、ウエストの所で何重にも折り畳んで短くしているようである。学校では、服装検査や何か行事があるときは、折り畳み部分を無くして普通の長さにしている。
中にはすらっとした日本人離れした脚線美の持ち主もいるが、ほとんどがあまりまともには見たくない足の持ち主であるにもかかわらず、羞恥心という言葉を知らないのか、皆一様にスカート丈を短くしている。

なぜ日本の若者、特に女の子は、皆同じ格好をしたがるのだろうか。最近は余り見かけなくなったが、よれよれでだぶだぶの地面に触れて汚れた白いソックスを例外なく履いていた。寒い季節になるとまた履くのであろうか。また、冬になると同じパターンのマフラーを首に巻きだすのであろうか。
私は、もし他の人が自分と同じものを着ていたりすると落ち着かなくなり、以後はそれを身に付けて外出しようという気持ちが萎えてしまう。

若い人の場合は、同じ格好をしないと仲間はずれにされるとか、流行遅れだと馬鹿にされたりするのだろうか。同じ格好にしたいのなら、学校で決められた制服や、制服の長さ、髪の色でも良いはずであるが、大人からのお仕着せに対しては、服装は自由にすべきだとか、髪の毛を染めて何故悪いとか言い出す。始末に負えない。
学校が、もし茶髪で、ルーズソックスにミニスカートを正式な服装規定にしたら、若い子達はどのような反応を示すのか非常に興味深いところである。

今日これを書くのは、今朝駅の階段を登るときに目の前にミニスカートの高校生を見かけたからである。いつも見かける風景なのに、なぜ今日書く気になったのか。
それは、その女子高生はちょうど左手をお尻の、あの大がつくものが出てくる所に手を当てていたからである。その光景は、まさにトイレに行きたいのを我慢している図であった。大袈裟に書いているのではなく、本当に一瞬そう思った。しかし、階段を登りきると左手を普通に戻し平然と歩き出したので、トイレに行きたかったわけでは無いことが分かった次第である。
まぎらわしい仕草は絶対に止めて欲しい。

理科離れ


昨日、相模原市内にある宇宙科学研究所(宇宙研)の一般公開があったので行って来た。毎年夏休み時期の日曜日に、一般市民とくに子供の見学者を期待して行われている。

公開の内容は、科学衛星やその打ち上げ用のロケットなどの開発研究成果である。宇宙人から発信された信号を受信しようとする試みや宇宙の起源を探る研究などもあり、興味深いものが多い。
私は、仕事に全く無関係でもなかったのと、宇宙への興味から10年位前から行き始め毎年欠かした事がない。

10時開場であったが、10時過ぎには小学生位の子供達が列を作って宇宙研へ向かう姿が見られた。会場内では、ペットボトルを利用した水ロケットを作り飛距離を競ったり、スタンプラリーなども行われ、子供達に興味を抱かせるべく、苦労をされている。
実際に触ったり、動かす様なコーナーでは、子供達の輪が出来ていて、大人はなかなか近づけない。

会場を回っていて印象的だったのは、展示会場のあちこちに配置されている若い研究者達の説明態度であった。難しいことを出来るだけ子供や素人にもわかりやすく説明をしようとする真摯な態度と、非常に穏やかな性格を感じさせる喋り方であった。質問に答えてくれる姿は、非常にほほえましい感じさえする。
次のブースへ移動するときには、説明へのお礼を言い、頑張って下さいと言わずにはいられない。

真理を追究しようとする人は、事実を謙虚に受け止めなければいけない。このような研究における謙虚さが、人間の傲慢さ、横柄さを取り除いてくれるのではないだろうか。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と言う言葉は、研究者に似合っているといつも思う。

子供達の理科離れが進んでいると言われており、理科系の私としては非常に残念であるが、少なくとも昨日の見学風景を見ていると、科学に興味をもつ子供はたくさんいる。子供に興味を持たせる工夫を怠ると見向きもされないかも知れないが、このような若い研究者達の謙虚で地道な努力があれば、まだまだ日本は大丈夫であると思う。

槍ケ岳への道-4 (燕岳・槍ケ岳山行)


夜になっても、雨は時折激しく降っていた。顔なじみになった方々と明日の天候の話をするが、皆悲観的であった。せっかくここまで来ていながら、槍の穂先に登ることも見ることも出来ずに帰ることになるのだろうか。こんな悔しいことは無い。
とにかく明朝は4時起きで山頂へ向かう事にして、天候の回復を期待しながら早々と19時頃には眠りに就いた。

翌朝予定通りに4時に目を覚まし、気になる天候を確かめるために上着も着ずに外へ飛び出した。すると、何と昨夜までの雨が嘘の様に、地平線と接する空はほのかに白く明るさを取り戻し、槍の穂先の方のまだ深い群青色をした空には、大きな星が二つまたたいていた。 シルエットとなって浮かび上がっている槍の穂先では、ヘッドライトの光が星の輝きの様にまたたき、その光が連なって頂上に向かっているのが見える。

これほどの好天は予想もしていなかった。私の血が一瞬、騒ぐのを感じた。5年ほど前に山を始めて以来丹沢だけしか知らず、槍ケ岳なんて高嶺の花と思っていた私が、いよいよ槍に登るのだと思うと武者震いがした。

4時20分過ぎに槍の頂上を目指して、ヘッドライトで足下を照らしながら歩き始めた。急な岩場なので油断は禁物である。しかし、頂上までは意外とあっけなくたどり着いた。小学生くらいの子供達も登っていた。 頂上に近づく頃には、ヘッドライトの明かりも要らなくなった。

山頂には、御来光をここで迎えようと言う人たちですでに一杯だった。日ノ出の時間は5時5分だったので、30分位山頂にいた。日ノ出を待つ間、皆で写真を撮りあったり、目の前に見える穂高連峰や、眼下の槍岳山荘などを写真におさめた。

太陽が徐々に姿を現してきた。今日一日の好天を約束するような、見事な日ノ出だった。いつも思うことだが、太陽は毎日同じ太陽なのに、何故か山でみる御来光は気持ちをとても厳粛な気持ちにさせてくれる。新しい朝が来て、昨日までの色々な苦しい思いや、悲しい思いなど全てを清算してくれ、希望に満ちた新しい一日の出発という気持ちにさせてくれる。思わず手を合わせたくなる。

しばし日ノ出と山頂からの眺めに酔いしれてから、山頂を下り、朝食もそこそこに上高地に向けて出発した。下りながらも、何度も何度も槍ケ岳を振り返り、雄大な姿を写真におさめ、名残りを惜しみながら槍沢を後にした。

私の今年の夏は、終わってしまった。

槍ケ岳への道-1 (燕岳・槍ケ岳山行)


この夏、登山をするものなら誰でも一度は憧れる北アルプスのシンボル、槍ケ岳に登ってきた。

何度も書いたが、私は北アルプスそのものが初めてであった。ましてや、単独登山である。あまり山をやらない人は、皆一様に「えっ、一人で行くの!?」とびっくりしていた。

あまり、心配されるとこちらも心配になってくるが、ガイドブックを丹念に読むと特に危険なところは無さそうだし、表銀座といわれるほど人が多いコースらしい。ましてや、私の家内は15歳の高校1年生の時に山岳部で初めて連れて行かれたコースであると言っていた。
それなら、こちらはいくら中年になったとは言っても、丹沢をほとんど歩いた自分としては何とか歩き通せるだろうと、多少確信を持って出発することとした。

ただ、これも初めての3日間の縦走で体力が持つかどうか、また膝痛が出て来なければよいがと心配もあった。少しでも不安をなくすために、山行の2週間前から筋肉トレーニングや、ザックに水を沢山詰め込んで暑い丹沢を長時間歩いたりと、それなりの体力増強を図った。

ガイドブックのコース例では、2日目は燕山荘から槍ケ岳までとなっていたが、涼風に吹かれ展望を楽しみながらの稜線歩きなので何とか楽に行けるだろうと予想していた。しかし地図によると歩行時間は9時間前後であり、いつもの日帰り山行に比べて5,6Kg重い荷物でなおかつ写真を撮りながらでは、軽く10時間を超えることも十分予想される。

山行の様子を現地から携帯で投稿したり、日常の生活の中で撮った写真や、徒然なるままに思った事、雑感を投稿。