昨日、帰宅した。
走行距離は、2040kmであった。でもまだ運転したい気分である。
いつか平和になったら、車で世界を回ろうか。
今回は、4か月ぶりの東北であったが、各地で紅葉の始まる時期で十分目の保養をさせていただいた。
これでまた東北の違う一面を体験することが出来た。
東北からの帰りは、仙台の手前あたりまで、海沿いの道を走ったがやはりまだまだ大規模な土木工事が行われていた。
いつになったら平穏な町並みに戻るのだろうか。
ただ、泊まったホテルでは、以前ほど工事関係者の人は多くはなかった。
以前と違って、復興工事というよりも、未来に向けての新しいインフラ開発というような感じがした。
曜日が土日という関係もあるのかもしれないが、各地でいろいろな催し物やお祭りなどが行われていて、いままでで一番活気を感じた。
どんどん元気になっていく東北の人たちに会いに、これからも足繁く通おうと思う。
気仙沼に来たら、ここではみなと祭りをやっていた。
広田湾をはるかに越える凄い人出と活気である。
車もかなり離れたところに駐車することになった。
県内はもちろん近郊の県外ナンバーの車もたくさん来ている。
日曜日ということもあり、家族連れが目立った。
食べ物の前はどこも長蛇の列であった。
被災地にとっては、被災地に来てくれるだけでいいと言われているが、このたくさんの人たちを見ているとたしかに、被災地に来て地元の人たちが作った土産を買うだけでも地元の人たちへの励まし、多少の復興支援になるのではないかと思える気がする。
(肖像権の問題があるので、顔が映らない場所で撮影)
大船渡から気仙沼に向かう途中、広田半島という、私が知らない名前の半島があったので、寄ってみた。
そこでは、広田湾大漁祭りを開催しており、沢山の人が集まっていた。
そこで焼きホタテを売っていたので、並びながら、後ろについた高齢の姉妹に話しかけたら、お姉さんの方は、ここ広田で、津波で家が全て波に持っていかれ、今は妹さんのいる大船渡に住んでいるとの事だった。
大漁まつりに集まっていた広田に住んでいた知人達に懐かしそうに声をかけていた。
漁業関係の新しい施設は、岸壁に近いところに作られ祭りには、沢山の人が集まり、活気が溢れていた。
地元の若い人たちの元気な和太鼓の演技を見ていたら、やはり海の人たちは、海のそばでないとダメなのだろうなと思うと同時に、元気をもらったような気がする。
またちょっと涙が出てきた。
津波がまたいつ来るかも知れなくとも、やはり海のそばがいいのだろう。
焼きホタテは、1枚300円となっていたので、1個かと思ったら、2個で300円!!
ここ大船渡にも新しい商店街が出来ていた。
名前は、おおふなと夢商店街。
昨年4月の落成とのこと。
ここは海に近いが、奥まった湾のようになっているせいなのか、盛り土は3mほどだと言う。
海のそばで育った人は、海のそばからは離れられないと田野畑村でも聞いた。
他の被災地同様、若い店主が多い感じであった。
やはりゼロからのスタートは、若いエネルギーが必要なのか?
せめて気持ちだけは、若い気持ちを持って新しいことに臨んで行きたいものである。
いつも遠くから気になっていた岩手山を歩いた。
歩行時間は、写真を撮りながらだったので、9時間かかった。
絶好の好天に恵まれ、途中の紅葉が日に照らされ葉がより紅く見え、何度も立ち止まった。
頂上付近は風が強く、冷たく、パーカーや手袋が必要だった。
岩手山は百名山の一つに数えられているが歩くコースは、かなり自然のままになっておりそれなりの覚悟がないと危ないかも知れない。
白花シャクナゲ荘に3泊して、今盛岡へ向かっている。
今回も宿のご主人とは、一体何時間お話しただろうか。
奥様も含め、お互いのこと、家族のことなど随分と色々話した。
帰る際には、いつものように皆様で見送っていただいた。
次は、雪の多い時を狙って来ることを約束して宿を後にした。
今日は、田野畑村の鵜の巣断崖まで行ってきた。
この場所は、作家吉村昭のお気に入りの場所で、飽きずに何度も訪れていたと言われている。
太宰治賞を受賞した「星への旅」は、この場所からヒントを得て書き上げ、吉村昭が文壇にデビューした作品である。
何度見ても、息をのむような屹立した断崖である。
私はいつも、この場所にある案内図の前で、どこに行こうか
迷っている観光客に対して、北山崎にまだ行っていないのなら、
是非行くべき場所ですと、薦めている。
今日も、東京から来たという男性5人グループに、北山崎を薦め、さらに北山崎にある、白花しゃくなげ荘のコーヒーが美味しいので是非寄って下さいとお願いした。
この白花しゃくなげ荘は実は私の定宿であるが、夕方に戻ったら、宿のご主人から、この5人グループの人達が、来てくれたとの事だった。
少しでも復興支援に役立てたら嬉しい。
北山崎での朝を迎えた。
昨日は、久慈市方面から村に入ったが村に近づくにつれて、初めて来た時と同様に、景色が他の地と異なっている様に感じた。
周りの木々は色づき始めている。
自宅から岩手の村まで1日で着くのは無理なので、昨日は奥州市のホテルに泊まった。
自分ではこの地には初めて来たつもりであったが、JRの水沢駅の名前を見た途端、30年位前にここに出張で来ていた記憶が突然蘇った。
そういえば、水沢市が合併などをして、奥州市という名前に変わっていたのであった。
出張先は、ここの水沢緯度観測所であった。
現在は水沢国立天文台という名前になっている。
予定にはなかったが、見学が可能だったので、2時間ほど色々と見て回った。
とても興味深く見学できた。
同じく見学に来ていた家族の大人の娘さんと一緒に、鉄のボールをぶつけ合う電子と陽電子の衝突の実験をした。
変なおじさんだと思っただろうな。
知っている人は知っているし、知らない人はまったく何のことか分からないと思うが、Z項というものを発見したのは、この観測所の明治時代の木村先生だったことを知った。
この先生の、「科学の心」という講演の時の肉声が聞けるようになっていて、ノーベル賞を受賞された本庶さんの言葉と相通じるものがあり、じっくり拝聴した。
(内容は、木村榮、Z項、で検索すると見つかります。)
大きなアンテナのそばで、メンテナンスをされている方がいたので、色々話をしていたら、、何とその方は私が勤めていた同じ会社の方であった。何という奇遇であろう。
いつもながら思うことだが、自分から動くと、期せずして新しい出会い、発見、感動、驚きなどが得られる。
これからも積極的に動きたい。
12時間の超ロングドライブの末、やっと村に着いた。
また宿の皆さんの笑顔を見ることが出来た。
こちらの日中の気温は関東とほとんど変わらず、とても暖かい
今日は、7時間の長時間ドライブであった。
しかしながら、オートクルージング機能のおかげで、疲れはほとんどない。
特に、アクセルとブレーキ操作が頻繁に必要な時に、オートクルージングにすると、気疲れが無くなり、安心して走れるのでとても助かる。
思えば、これも1年前の追突事故のおかげである。
追突されなければ、当分オートクルージング機能が付いた車を買うこともなく、また岩手まで頻繁に車で来ることも出来なかったと思う。
いま車は自動運転車の完成に向かってまっしぐらであるが、これが実用化されれば、寝て目が覚めたら目的地に着いているのでさらに年をとっても、いつでも好きなところに自由に行ける!
先週に続き、ボランティアの写真撮影でいつもの渋沢丘陵に来た。
天気も良く、草木を見ながら のんびり歩く山行はとても気持ちがいい。
今日は日に焼けそうな日差しが丹沢に降り注いでいる。
山行の様子を現地から携帯で投稿したり、日常の生活の中で撮った写真や、徒然なるままに思った事、雑感を投稿。